ホーム / Intercity / / アメリカのルーツに触れる ~ニューヨーク・ハーバー エリス島 Ellis Island~
アメリカのルーツに触れる ~ニューヨーク・ハーバー エリス島 Ellis Island~

アメリカのルーツに触れる ~ニューヨーク・ハーバー エリス島 Ellis Island~

 ニューヨークのシンボルといえば「自由の女神」。自由の女神がそびえるリバティ島へは、マンハッタンの最南端にあるバッテリーパークからフェリーで15分ほどだ。このフェリーは、リバティ島からの帰路に必ず「エリス島」という島を経由する。ここは日本人にはあまりポピュラーな場所ではないようだが、アメリカ史上、非常に重要な地であり、アメリカ国内外から絶えず大勢の人々が訪れる。
 エリス島は「移民の島」として知られ、現在のアメリカの40%にあたる人の祖先がここから入国したと言われている。1892年に設けられたエリス島の移民局では1934年にかけてその数がピークに達し、1954年までの約60年間に1700万人もの移民が上陸した。
 移民を乗せた船がエリス島に到着すると、検査官が船に乗り込み、ファーストクラスの乗客のみが無審査で入国を許可された一方、一般の乗客は(病気の人を除く)エリス島に連行された。毎日多数の移民が次々と到着するため、島は大変な混雑となり、審査を待つ人々による長蛇の列が続いたという。
 まず移民たちは、医師によるメディカルチェックを受けた。健康上の問題を指摘された場合にはここで入院し、手術を受けることもあった。それでも労働に耐えられないと判断された場合には母国に送り返されたため、家族が生き別れることも少なくなかった。

no39_travel_newyork

エリス島移民局が開設された1892年1月1日、最初に上陸したのは、アイルランド出身の15歳の少女であった。3年前に先に入国した両親と暮らすため、2人の兄弟とともに海を渡ってやって来た

no39_travel_newyork_ph02

移民たちは入国許可が下りるまでこの島から出ることは許されなかった(写真:加藤紀子)

 次に移民は名前と出自、資金などについて尋ねられた。ほとんどの移民は英語が話せなかったが、移民局には多くの言語に対応できる通訳者が配備されていた。移民は入国を許可されるために、通訳の力を借りながらも、アメリカの地で激務にも耐え、問題なく働けることを審査官に強くアピールしなければならなかった。
 厳しい審査をパスし、無事に入国を許された人々は、この場所から広大なアメリカ大陸のあらゆる地に向かったのであった。
 1954年にその役割を終えた移民局は、1990年にエリス島移民博物館としてリニューアルした。博物館内には上述した移民審査の歴史が再現されている。当時の移民たちの数多くのドラマを目の当たりにし、彼らの苦難の歴史に心打たれる。あちこちに貼られた移民の顔写真には、袴や着物姿の日本人家族も多く見られた。
 何週間も船に揺られ、たどり着いた地に見た「自由の女神」に、航海の無事を喜び、志気を高めた移民たち。そして彼らはこの「エリス島」を経て、アメリカンドリームを求めて全米各地に羽ばたいた。何人かのアメリカ人に私がエリス島に行ったことを話すと、ほぼ全員が、自分の、あるいは自分の親の祖父母世代がエリス島から入国してきたと語ってくれた。彼らのアメリカ人としての歴史は、まさにここから始まっているのである。
 マンハッタンを訪れる機会があれば、ぜひ自由の女神のあるリバティ島とともにエリス島の地にも降り立ち、アメリカのルーツに触れてほしい。


※アクセス:地下鉄(1)に乗り、終点South Ferry下車。バッテリーパークから出るリバティ・フェリーは大人12ドル、子供5ドル。所要時間は、往路15分、復路30分(エリス島経由のため)。フェリーのチケットは事前にネットで購入できる
www.statuecruises.com/ferry-service/welcome.aspx

文:加藤紀子(編集部)

Scroll To Top