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BERLIN~遺跡・絵画・彫刻・戦跡 ベルリンで出合うミュージアム・ホリデー~

BERLIN~遺跡・絵画・彫刻・戦跡 ベルリンで出合うミュージアム・ホリデー~

ART

絵画との出合い

ガラス張りの壁にマトリックスのように電光文字が浮かぶ新国立美術館

ガラス張りの壁にマトリックスのように電光文字が浮かぶ新国立美術館

『皇女ルイーズとフレデリケ』、オリジナル石膏モデルはすぐ近くのフリードリヒスヴェルダーシュ教会にある

『皇女ルイーズとフレデリケ』、オリジナル石膏モデルはすぐ近くのフリードリヒスヴェルダーシュ教会にある

19世紀美術史の
具現

 博物館島には旧国立美術館もある。フランス革命から第一次世界大戦までのドイツ・フランスの秀作が集められており、また建物も1867年から76年にかけて建てられたもので、館内を通して、19世紀の芸術を堪能することができる。正面階段を登りきると、1795年ヨハン・ゴットフリート・シャドウ作の『皇女ルイーズとフリーデリケ』が待っている。仲睦まじく肩を組む美しい2人の皇女たちの立像は、その表情からドレスの襞に至るまで、気品に満ちている。19世紀ドイツの2大画家、アドルフ・メンゼル、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品も多数展示されている。印象派を代表するマネ、モネ、ルノアール、セザンヌらの作品が一所で見られるのも嬉しい限りだ。

ピカソ”バラ色の時代”に描かれた『すわっているハーレクイン(道化師)』(1905)

ピカソ”バラ色の時代”に描かれた『すわっているハーレクイン(道化師)』(1905)

ヨーロッパ屈指の
絵画コレクション

 ポツダム広場近くにある「文化フォーラム」は3つの美術館・博物館が入る複合施設だ。その中の一つゲメルデゲレリー(絵画館)は、13世紀から18世紀のイタリア、オランダ、フランス、イギリス、ドイツ出身といった幅広い作家のコレクションが揃っている。オランダ出身のレンブラントは美術館の中核をなしているコレクションだ。『ベルベットのベレーをかぶった自画像』や、弟子作と判定された『黄金の兜をかぶった男』などが八角形の展示室に並ぶ。他にも、同じくオランダのフェルメール、イタリアのラファエル、カラヴァッジオ、ベルギーのルーベンスらの作品など、一つの絵画館とは思えないほど名画が続く。お膝元のドイツからはルネッサンス期のアルブレヒト・デューラーや、ハンス・ホルバインの作品が見所だ。

マネ作『冬の庭』。印象派を揃えたナショナルギャラリーの秀作

マネ作『冬の庭』。印象派を揃えたナショナルギャラリーの秀作

 文化フォーラムのすぐそばにある新国立美術館では、20世紀のモダンアートが展示されている。ガラス張りのモダンな館内には、ドイツ表現派の代表キルヒナーの『ポツダム広場』、新即物主義オットー・ディクスの『カードプレーヤー』、バウハウスで学び教授も務めたヨーゼフ・アルバースらの作品が常設されている。

MODERN
HISTORY

現代史との出合い

あまりに有名な『My God Help Me』。旧ソ連レオニード・ブレジネフと旧東ドイツ、エーリッヒ・ホーネッカーとの接吻。いくつかの絵は痛みや落書きが激しかったため、修復された

あまりに有名な『My God Help Me』。旧ソ連レオニード・ブレジネフと旧東ドイツ、エーリッヒ・ホーネッカーとの接吻。いくつかの絵は痛みや落書きが激しかったため、修復された

冷戦の象徴、
ベルリンの壁の今

 アメリカ、ソビエトを大将にした冷戦が終結を迎える直前の1989年11月9日夜半、冷戦の象徴ともいえるベルリンの壁が崩壊した。今では市内ツアーの集合場所にもなっているブランデンブルグ門の前に立っていた壁の上に市民が立ち、ハンマーを片手に歓喜の声を上げていた姿をテレビで見た人もいるだろう。ベルリンを東西に分けた壁は、ほんのわずかを残して消えた。その一部が「イースト・サイド・ギャラリー」だ。壁崩壊後の1990年に118名のアーティストによって描かれたグラフィティが旧東ベルリン東部1.3kmにわたって続く。アーティストはドイツだけでなく世界21カ国から集まったといい、そのモチーフもさまざまで、中には日の丸をバックに富士山が描かれているものもある。

旧東ドイツの国産車トラバントが壁を突き抜けている『TEST THE BEST』

旧東ドイツの国産車トラバントが壁を突き抜けている『TEST THE BEST』

 ベルリンの中心部、ポツダム広場にほど近いところに、世界大戦の惨劇を伝える施設が2つある。「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」と、「トポグラフィ・オブ・テラー」だ。記念碑は一つではなく、長方形の石碑が2711基、違った高さで格子状に並ぶ。象徴的な意味合いは一切放棄されている。議会・政府地区に位置するということにドイツの歴史的責任を認める意味があるという。地下には情報センターとして、ナチスによるユダヤ人虐殺に関する展示室がある。中には犠牲者の名前と経歴を読み上げている部屋があり、すべてを読み上げるには6年7カ月27日を要し、その数の多さを物語っている。トポグラフィティは旧ゲシュタポ本部跡にあり、ゲシュタポ(秘密警察)がいかに道を踏み外していったか、どれほどむごいことを行ってきたか、その歩んだ軌跡を写真とともに伝えている。

ザクセンハウゼン収容所の入り口。鉄門の真ん中に「ARBEIT MACHT FREI」の文字が見える

ザクセンハウゼン収容所の入り口。鉄門の真ん中に「ARBEIT MACHT FREI」の文字が見える

伝え継ぐ使命と責任の下に

 ポツダム広場駅からSバーン1号線に乗って50分、終着駅のオラニエンブルグからバスに乗ってさらに10分行くと、ザクセンハウゼン強制収容所跡にたどり着く。
 周囲は静かな住宅街で、そばまで行かないとそこに収容所があったとは信じられない。「働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)」と書かれた鉄門をくぐると、囚人服と同様の赤い三角形がついた40mの記念碑がそびえている。収容施設内は展示室になっていて、実際使われていた生活用品や、囚人たちの遺品などが収容所で起こったことが事実であることを再確認させる。敷地内の処罰に使われた杭や、ガス室、遺体を焼いた薪置き場は生々しく、恐怖心さえ覚える。壁際にはロシア、ポーランド、ノルウェーなど、この収容所に運ばれ犠牲になった人々の祖国から、彼らがここで果てたことを忘れないと刻んだレリーフが掛けられている。敗戦国、虐殺を行った国としての責任なのか、これらすべての博物館は入場無料で公開されている。


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