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その手があったか!脱サラ起業家たちのマッチ&ニッチ商売論

【マッチ&ニッチ商売論】徹底したヒアリング + ウェブデザイン = 「仮想営業マンロボット」制作会社

会社を辞めて独立する。やるだけならば簡単だ。しかし、戦略も展望もないまま独立すると、仕事が全くなかったり、安い請負作業で使い捨てられかねない。独立するならば、ニッチでも確かな収入と自由があるビジネスを創り出したい。
ポイントは「組み合わせる」こと。異なる二つの切り口をうまく合わせれば、唯一無二の存在になれる。
サラリーマン経験も活かし、組み合わせで成功した起業家たちの物語を追う。

アフロディレクターズ事務所にて。ダンススタジオのような不思議な建物だ。冬場の午後は「ありえないほど寒い」らしいが、「人と同じことをするのが嫌い」だという理由でアフロヘアにしている草間さんは意に介さない。

アフロディレクターズ事務所にて。ダンススタジオのような不思議な建物だ。冬場の午後は「ありえないほど寒い」らしいが、「人と同じことをするのが嫌い」だという理由でアフロヘアにしている草間さんは意に介さない。

 渋谷駅から京王井の頭線に乗って3駅目。下北沢の隣駅である池ノ上で下車した。繁華街の下北沢とは異なり、駅前の商店街にも一戸建て住宅が入り混じる。生活者の息遣いが感じられる町だ。世田谷区特有の細く曲がりくねった道を歩いて行くと、「AFRO DIRECTORS」の看板が見えた。
 ガラス張りの扉を開くと、コンクリート打ちっぱなしの部屋の奥にあるビニールカーテンの中からアフロヘアの男性が顔を出した。きっと草間忠宏さん(43)だろう。
 草間さんを紹介してくれたのは、彼の顧客企業(愛知県三河地方の製造業)の担当者だった。ホームページおよびネット通販サイトの構築と更新をお願いしているが、「作りっぱなし」ではない対応に感動しているらしい。草間さんは愛知にある工場までやって来て機械などを視察した上で、会社や商品について事細かにヒアリングし、「どんな目的でどのようなホームページを作りたいのか」を徹底的に打ち合わせしたという。しかも、一度きりではない。定期的に現場に来て、リニューアルの相談にものってくれる。
「現場に行かずに(WEBサイトの)ひな型にポンポンはめていくだけの仕事をたくさん請ければそりゃ儲かりますよ。でも、現場の匂いや色を知らずに何がわかるというのでしょうか。作る人がわかっていないものを見た人がわかるはずはありません。せっかくホームページを見てくれても、『何をしているのかよくわからない会社だ』と判断して別の会社を検索してしまうでしょう。会社のホームページは多くの人が最初に出会う『営業マンロボット』なのです。打ち合わせとヒアリングに時間をかけないと作れません」
 いきなり本題に入る草間さん。まずは雑談からといった「ゆるさ」はない。筆者は初対面の人の前だと緊張してしまうのだが、草間さんも同じく緊張しているのかもしれない。過激な髪型から予想していた人柄とは異なり、親しみを感じた。
 草間さんを含めて5人で運営しているアフロディレクターズは、全国各地の中小企業や自治体、団体からWEBサイトやパンフレットの制作、販促イベント企画などを請け負っている。現場に足を運んだことのない得意先は一つもない、と草間さんは言い切る。ホームページを受注した福島県南相馬市の商店街には震災後に自主的に車で訪れた。顧客の現状が気になって仕方なかったからだ。
 なぜここまで顧客に寄り添うのか。草間さんが起業をしたきっかけから遡って探りたい。
「高校時代は数学の先生になりたいと思っていましたが、頭が悪すぎて大学1年であきらめました。就職先でも『やる気スイッチ』がいつまでも入らない。仕事内容がつまらないわけではなかったのに、ろくに仕事せず土日に遊ぶことばかり考えている問題児でしたね。といって、起業をするつもりなども一切ありませんでした」
 28歳で結婚し、翌年には子どもができた。そのときに「やる気が出ないまま40代、50代のオヤジになったらマズイ」と初めて危機感を持った。会社に内緒で転職試験を受けた。不合格の通知を受け取ると同時に、会社から出向を命じられる。
 出向先は東京・三鷹市の第三セクター。インターネットショッピングモール「みたかモール」を立ち上げる業務だった。システムエンジニアとしてサイトを構築するだけではなく、出店する商店主との打ち合わせから顧客への商品の発送までを一手に引き受けた。
「それまでは名刺交換をする人は年間に5、6人だったのですが、出向先では毎日のように新しい人と会える。楽しかった。自分に合っていたんでしょうね。出向期間が終了する3年後には『ここに残ってくれ』と頼まれるような人になろうと決意しました」

左.アフロディレクターズが運営主体となっている「せたがやいち」。世田谷区内の30ほどの商店が参加しているネットショッピングモールだ。「月商数十万を売り上げる店舗もあります」(草間さん)
右.靴下や手袋の製造を手がける「石川メリヤス」(愛知県)のホームページ。草間さんのサポートで斬新な試作品をネットで直売する企画が実現し、トップ画面で公開中だ

 3年間、やる気が起きなかった20代とは別人のように夢中で働いた。システムエンジニアとして最新技術にキャッチアップすることよりも、商店や中小企業のために力を尽くすことにやりがいを覚えるようになった。
「技術者はプライドが邪魔をして『知らない』と言いたがらないものです。私も20代のときはそうでした。でも、知らないことばかりの出向先で、『わからないから教えてください』と言い続けたことはいい転機になりました。花屋さんは年末になると在庫の花を売り尽くすのはなぜか。正月休みで水をやりができないからです。靴下は全自動の編み機で完成するわけではなく、内職さんにお願いして手縫いで仕上げなければなりません。知っていそうで知らないことですよね。質問して教えてもらうしかないのです」
 出向期間が終わるとき、草間さんには3つの選択肢があった。会社に戻るのが最も安泰な道だ。しかし、大企業の一社員に戻るつもりはまったくなかった。当初の目標通り、出向先から「残ってくれ」と声をかけてもらえたが、それでは会社に申し訳が立たない。独立起業をして現在のサイト運営を請け負うことが理にかなっている。妻も「やりたいことをやれば」と背中を押してくれた。
「最初からお客さんがいる状態での独立とはいえ、リスクは大きいですよ。周りからは無謀だと言われました。お金儲けを考えるならば、会社員を続けることが間違いないのです。残業代もボーナスももらえるのですから。でも、私は人の役に立ちたかった。とにかくご縁を大事にして、会社をつぶさないように頑張っていくだけです」
 人の役に立ちたい――。顧客企業のヒアリングを愚直なほど繰り返している草間さんが言うとキレイゴトには聞こえない。
 大企業のサラリーマンは基本的に「取り換えのきく存在」でなければならない。異動や退職で業務に滞りが生じては困るからだ。自分がいなくなっても仕事が回るように手配りしておくことがサラリーマンの優秀さの一要素といえるだろう。
 仕事でも「かけがえのない存在」でありたいと強く欲し、このスマートさを身に付けられない人もいる。草間さんもそうなのだろう。家族と社員が食べていけるだけの収入が得られるのなら、自分の技能と性格が活かせる仕事で顧客から頼りにされることは労働の原始的な喜びと真っ直ぐにつながっているのだ。
 とはいえ、大企業と第三セクターの一員だった経験は現在も役立っていると草間さんは振り返る。

草間さんの趣味はフットサルとマラソン。「40代50代でスポーツにのめり込む人は意外なほど多い、イベント企画に生かせるかも、と観察している自分もいます。仕事と遊びの境界はありません。すべて自由時間です」(草間さん)

草間さんの趣味はフットサルとマラソン。「40代50代でスポーツにのめり込む人は意外なほど多い、イベント企画に生かせるかも、と観察している自分もいます。仕事と遊びの境界はありません。すべて自由時間です」(草間さん)

「会社では理系的なスケジュールの組み方を覚えられましたし、公務員の方たちと一緒に働くことで役所のルールや仕事の進め方も知りました。役所ができることと民間ができることは違います。例えば、役所ならば公共スペースでイベントを定期的に実施できる。ただし、実現するためには手続きが必要ですし、提案の仕方も独特です。役所と民間の両方をわかっている人は多くはないので、その意味では私はニッチな人間だと思います」
 独立起業から10周年を迎えた昨年、草間さんにとって大きな出来事があった。世田谷区産業振興公社が運営主体であり、アフロディレクターズが実務を請け負っていたネットショッピングモール「せたがやいち」の事業を継承したのだ。
「役所の予算組みができずに年度末で閉鎖する事業があるのは仕方のないことです。でも、利用していただいていたクライアント(商店)やお客様との信頼関係を崩したくはありません。役所の方にお願いして、うちが運営主体になりました。大きな決断でした。10年間、会社をなんとか続けてきたからこそ責任を負えたのだと思っています」
 責任が重い割に収支は今のところ赤字だ。「うちは儲からないビジネスモデルですよ。参考になりますか?」と笑う草間さんの表情はどこまでも明るかった。


草間忠宏さん

独立後データ(独立前を100とする)

◎収入………70

◎支出………70

◎睡眠時間…50

◎通勤時間…90

◎自由時間…1000

m&n_photo1971年東京県生まれ。玉川大学工学部卒業後、日本無線株式会社に就職。システムエンジニアとして河川情報システムの設計を手がけた後、「まちづくり三鷹」(東京都三鷹市の第三セクター)に出向。地域密着のネットショッピングモールを立ち上げ、店長として活躍。出向期間終了と同時に独立。

文|大宮冬洋

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