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情熱の持続が力となる~彫金 重要無形文化財保持者 中川衛氏~

情熱の持続が力となる~彫金 重要無形文化財保持者 中川衛氏~

重ねの「加賀象嵌」

象嵌朧銀花器「夕映え」17.5×30.0×22.0cm

 天下泰平の世となった江戸時代には、武具類は実用性より装飾性が重んじられるようになった。装剣具や馬具などに施された加賀象嵌は、こうした時代背景のもとで発達した彫金技術。金属の生地に模様を彫り、そのくぼみに金・銀など種類の違う金属をはめ込み、生地の表面と同じ高さに仕上げる平象嵌(ひらぞうがん)の技法を用いて、金属を何枚も重ねる「重ね象嵌」に特色がある。
「模様に合わせて奥に広く手前に狭く、つまりすそ広がりに彫ります。はめ込んだ金属が剥がれないようにするためです。くぼみの深さは1.0mm前後。5枚重ねの場合は最初に1.5mm彫ります。そこに1枚目の金属をはめ込んでから、2枚目をはめ込むために1.25mm彫ります。次は3枚目用に1mm、というようにはめ込んだ金属を破らないよう0.25mmずつ残して彫り、重ねていくのです」
 中川氏は通常2~3枚とされていた重ねの技法を発展させ、2mmに満たないくぼみに10枚以上重ねられる方法を作り出している。この一見とてつもないと思われる技法の研究に取り組んだのは理想のデザインを追求するためだ。「重ねを増やさなければ、自分の思い描いた印象を表せなかったからです」
 作品は中川氏が目にして美しいと感じたものをモチーフにしている。例えば漆塗りの一工程である和紙で漆を濾す様子を花器の形にしたり、マンハッタンの夕映えを模様にしたりと実在するものが対象となる。「肉眼で見た通りを写しても本物に勝ることはできません。だからデザインするのです。見たままの再現ではなく、自分の目と心で受けた印象を伝えることが大切。人の心に感動や癒しを与えるものを作らなければならないと思っています」

江戸時代の美に導かれる

「象嵌孔雀伏香炉」 33.0×8.5×19.0cm

 中川氏は金沢美術工芸大学出身であり、専攻は工業デザイン。卒業後は松下電工(現在のパナソニック)に勤め、電化製品などのデザインに携わっていた。その頃の中川氏は彫金どころか、工芸に関しては無知も同然。工芸に触れる機会はほとんどなかった。
 そんなプロダクトデザイナーとしての道を着実に歩み始めていた矢先、生家の事情で故郷金沢にもどらなければならなくなった。帰郷した中川氏は偶然訪れた金沢市内の美術館で、加賀象嵌という彫金の技法が施された鐙を目にする。江戸時代に作られた、乗馬の時に足を乗せる馬具との出合い。これが転機となった。
「金や銀などの金属で表現された水引きなどの模様に、何とも言えないお洒落さを感じました。どのような技法で作られているのか気になって仕方なくなり、すぐに加賀象嵌作家の高橋介州さんを訪ねました」
 象嵌の説明を熱心に聞き入る中川氏。その様子を見ていた高橋氏から「やってみないか」と薦められ、言われるまま材料と道具を持ち帰り真似てみたのだ。「小さな花瓶に描かれた簡素な模様でした。初めての制作は完成度の低いものでしたが、自分で手掛けたという喜びから、象嵌に取り組みたいという意志が湧いてきたのです」
 当時、金沢で加賀象嵌を手掛けていたのはわずか2人。共に高齢であったことから技法の継承が途絶えかねない状況だった。そこに現れた若者に高橋氏は後継者となってほしいという思いを抱いたであろう。中川氏は恩師の献身的な指導の下で技法を身につけていく。
 平日は勤務先から戻ると1時間ほど仮眠を取り、夜中の2時頃まで制作をする。展覧会への出品となると作業は明け方まで続くことも。土日も制作に費やす。仕事と両立しながら学んだのだ。「一心不乱に取り組み続けました。思えば、眠気に襲われ続けた11年でしたね」
 勤務していた会社を退職し、大学の教壇に立つようになってからは制作だけでなく、歴史調査や技法研究を進め、より一層深く道を極めていく。象嵌を始めて29年目、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。認定者の中では若いといえる57歳の時だった。

世界的な伝承者へ

 認定後は海外の展覧会出展や講演の機会が多くなった。作品の公開だけでなく、象嵌の技法を直接伝える機会もある。ワシントンのコーコラン大学や北京の清華大学などに技術指導者として招かれたり、文化庁の文化交流使に指名され、ひと月半かけて、ニューヨークをはじめとするアメリカの都市で象嵌について講演、講習や実演などを行ったりと精力的に活動してきた。
 今年は個展が台湾・新北市内の黄金博物館で2カ月間の長期にわたって開催された。博物館側からのオファーがあったからだ。「中国の故宮博物館には紀元前8〜10世紀の戦国時代の作品が数多く展示されてますが、その制作方法までは分かるものは少ないようです。象嵌もその一つです。歴史が紐解かれていくとでもいうのでしょうか。熱心に呼んでいただけるのはこのような理由があるかもしれないですね」
 加賀象嵌に用いる平象嵌が継承されているのは日本だけだという。中川氏は平象嵌の伝承において需要な役割を果たしている。「象嵌の技法を伝える時は自分が持つものをすべて教えるようにしています。すべてを他人に教え、自分が追われる立場になれば、必然的に次の研究に取り組むことになるわけです。続ける環境は自分でつくるものです。」情熱を持続すること。それが自らの才能になるということであろう。

●(左)模様に当てた鏨を金槌(かなづち)で打ちながら彫る●(中)象嵌は道具作りに始まる。模様に合わせて先端を加工する●(右)自身で作り上げた数百本の異なる鏨。それに合わせた金槌も揃う


文:竹井雅美(編集部)

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