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【宮本亜門インタビュー】西洋文化開花の地から日本の面白さを発信する

【宮本亜門インタビュー】西洋文化開花の地から日本の面白さを発信する

今年1月、横浜に演劇、ミュージカル、ダンスなどを上演する「KAAT 神奈川芸術劇場」がオープンした。近代的な西洋文化が開花し発展したこの街に誕生した劇場は、どのような形で新たな文化を創造・発信していくのか。芸術監督に就任した宮本亜門さんに話を聞いた。

芸術監督という立場で人と人をつなぎ合わせる

「演出家以外の職業名を頂くのは、面白いことです。ただ、舵取り役という意味では、演出家と共通点があるかもしれませんね。
 KAATは県立の劇場ですから、だからこそ県民の財産となるようなオリジナル作品を創造していきたい。その方向性をスタッフとともに決めている最中です。どんな演目を上演し、どんなワークショップやシンポジウムを開こうか。さらに、観劇後に食事ができるレストランはいくつあるのか、などなど。ブロードウェイだと夜の開演時間が遅いので、劇場近くのレストランでは、夜 観 劇をする人のためにメニューを設定して、終演後に食事ができるようになっています。日本でも、もっと夜を楽しめたらいいな、と思って、劇場から近い中華街に『もう少し遅くまで店を開けてください』とお願いにも行きました。横浜トリエンナーレは、横浜市で3年ごとに開催される現代美術の国際展覧会ですが、8月から開催される『横浜トリエンナーレ2011』にKAATも参加する予定です。実は、それも横浜美術館の館長さんに直接会いに行ってお願いしました。
 そうしたフェース・トゥー・フェースの関係が、とても楽しいです。今はどこも財政難だから、お互いに手を結ばざるを得ない。お金の代わりに知恵を出すわけです。例えて言うなら、ミュージカルのような広がりを体験できる。もちろん、我々が歌って踊ると言っているわけではありません。ミュージカルとは、歌や芝居、踊り、漫才、マジックなどをやるヴォードヴィル・ショーといったさまざまなジャンルが結びついていって、さらにバレエ団が一緒に加わって、面白く仕上がった演劇です。ジャンルを越えたから自由さがあるんです。
 ある時、県立の劇場だから、県民のみなさんの血税だからと考えすぎると、どのように運営していけばいいのか、かえってわからなくなってしまうことに気付きました。今は、芸術監督という立場を利用して人と人をつなぎ、みなさんと一緒にやっていけたらいいな、またやっと、それができる時代に変わってきたんじゃないか、と考えています」

劇場をハブとして使う

 芸術監督と県民が一緒にKAATを創っていくことができる時代に変わった、とは、一体どういうことだろうか。
「昔の演劇は、役者がいればよかった。演劇は、役者の数だけありました。シェイクスピアの頃に脚本家が生まれ、20世紀になると、いい演出家が求められ、批評家が登場する。それによるプラスはもちろんあるけれども、マイナス面として、観客までもが、舞台を生で感じるのではなく、批評家になっていきました。僕自身も演出家として、起承転結を整えてきれいにまとめようと、勝手にレールを敷いてしまっていました。もしかしたら、生で人と人が感じ合うという演劇の根源が、忘れられているのかもしれません。
 今、日本も世界も大きな時代の転換期にあります。そうした変化は我々と関わりのあることだ、さあ、一緒に考えてみようではないかと、演劇界では、ドキュメンタリー演劇という流れが生まれています。例えば、僕はドイツ人による『資本論』という舞台を観ました。プロの役者ではない普通の人たちが舞台に上がって、いくつの時に資本論を読んだ、などと語り……と説明するとまるで講演会のようですが、実際には生で人を感じることができる、とても魅力的な舞台でした。そのように、観客と演劇の関係をもう一度考え直す時期が来たのではないでしょうか。
 KAATという良い劇場が建ちました。ただ、あえて言いますが、建物をきれいに使うのが目的じゃない。人と人とをつなぐ結び目のような、ひとつのハブ(中心、拠点、集線基地)になれればいいと思っています。舞台と客席が備わった“劇場”という形に縛られる必要もありません。建物を飛び出して、スーパーマーケットで演劇をやってもいい。『今日はどこでやっていますか』と劇場に問い合わせてもらって、神 奈川や横 浜の街のどこかでパフォーマンスを展開したっていい。そうやって、生のもの、原石のようなものと、みんなで触れ合いたいと思うのです」

横浜は大好きな街 だからこそ外に発信したい

 劇場が建っている場所も、何かを象徴しているかのようだ。
「KAATは、外国人居留地の遺跡の上に建っています。建築前の発掘調査では、幕末から明治時代までの外国商館建物跡や道路跡、陶磁器類・ガラス瓶など、多数の遺構や遺物が発見されました。1853年、浦賀沖に黒船でペリー提督が来航し、日米和親条約 、日米修好通商条約が締結され、1859年、横浜が開港します。まさにここで、この場所で、西洋の文化が開花したのです。そして、ここから日本中に広がっていったのです。ご存知のように、横浜はビールやアイスクリームの発祥地です。日本初の近代競馬が行われたのも、ガス事業が生まれたのも、横浜。日本初の鉄道路線は新橋駅と横浜駅を結びました。僕は、黒船によって強制的に開国させられたと考えていますが、西洋文化を受け入れることで、近代日本は成長してきた、そのおかげで今の日本がある、それもまた事実なのです。
 劇場の徒歩2、3分のところに山下公園があって、よく、稽古の合間にベンチに座って、海を眺めます。ここに、あの船が来たんだ、ここに、初めて西洋文化がやって来たんだ、と考えながら。我々は、次にこの場所で何をするか考えます。この海は、世界につながっています。我々は、ここから何を発信していくのでしょうか。
 実は2代前の横浜市長(高秀秀信氏)は親戚です。横浜が2008年夏季オリンピックの開催都市への立候補を表明していた時、『おまえ、演出家だろう?ちょっと出てくれ』と言われて、会議に出たことがありました。その時印象に残ったのが、僕の記憶では、ほとんどの方の意見が『横浜は素晴らしいところだ。我々は幸せに暮らしている。だから我々の暮らしを乱さないでほしい』というものだったこと。たしかに、横浜は素晴らしい街です。横浜開港150周年記念式典では、500人の市民と一緒になって、ペリー来航、明治維新、文明開化、関東大震災に、第二次世界大戦と、横浜の歴史を紐解きながらショーの演出をさせてもらい、その素晴らしさはよくわかりました。僕自身も横浜は大好きな街です。でも、僕は内向きに保守的になるのでなく、外に向けて新たな発信をしていきたいと思うのです。
 海外で仕事をすると実感するのですが、欧米の知識人には日本についてよく知っている人が多いです。『太平洋序曲』の作曲家、スティーヴン・ソンドハイムと彼の自宅で日本酒を飲みながら語り明かした時、書棚には日本についての本がずらりと並んでいました。彼は、溝口健二監督や黒澤明監督の映画を全部観ており、日本文化への傾倒ぶりは尋常ではありませんでした。新橋の花柳界で生まれて、歌舞伎や新派を観て育った僕でも、ついていけないほどでしたから。その彼が言うのです、『初めて日本文化に触れた時、こんなに凄いものがあるのかと、自分たちは驚嘆した』と。まだまだ日本には面白いものがたくさんあります。それを世界に向けて、この場所から発信できればと考えています」

宮本亜門 プロフィール】 
1958年1月4日生まれ 東京都出身。出演者、振付師を経て、2年間ロンドン、ニューヨークに留学。帰国後の1987年にオリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビュー。翌88年、同作品で「昭和63年度文化庁芸術祭賞」を受賞。2004年にニューヨークのオンブロードウェイで『太平洋序曲』を東洋人初の演出家として手がけ、同作がトニー賞4部門にノミネートされる。2011年1月にオープンするKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任


KAAT 神奈川芸術劇場
神奈川県横浜市中区山下町281
TEL 045-633-6500(代表)
www.kaat.jp

文:渡辺麻実 撮影:岡本誠

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