ホーム / Lifestyle / スポーツ / 【世界の名手たちが発見した定石】定石2
【世界の名手たちが発見した定石】定石2

書籍「ゴルフ金言集」より

【世界の名手たちが発見した定石】定石2

ゴルファーの最大の敵は、自分であって相手ではない

――ゲーリー・プレーヤー

ゴルフの優劣は、自己を支配する程度によって決まる

――サム・スニード

 ゴルフは、あなたとコースと相手とのあいだに行われる三角的勝負である。だが、相手にまったく関係のない自分だけの球をめいめいが打っていくので、相手と争い合うという具体的な交渉は全然なく、あなたは自分の考えどおりに、だれからの束縛もなく球が打てるかわりに、プレーの結果は、いっさい自分が負うのである。(中略)
golf しかし、ゴルフが競技である以上、自己の最高のプレーをせねば、相手の最高のプレーには勝てない。言葉をかえれば、どちらがより多く自己に勝ったかが勝負の分かれめである。自分が苦しいときに、だれひとりとして助けてはくれない。苦しい、逃げたい、耐えられない、という気分から立ち上がることが、勝負に勝つことである。つまり、相手に勝つまえに、自分に勝たねばならないのである。自己に勝つことほど、むずかしいことはほかにない。
 プロゴルファーすらかなわなかった、不世出の大アマチュア選手、アメリカのボビー・ジョーンズは、その著書のなかで、こう語っている。
「私は若いときは、ひじょうに短気で、パットがはいらないと、よく、パターを地べたに投げつけたものである。そのころには、よく、自分よりどう考えても技量の劣るプレーヤーに、わけもなく負けていた。いくら悔やんでも、自分にはどうにもならないのが実情であった。
 その後自分は、試合ちゅうに相手を意識しすぎるために、つねに相手のペースに巻きこまれ、たえず不安の念にかられて、冷静なる自己のプレーができなかったことを悟った。それからは、どんどん大きな試合に勝つようになったが、地面に自分のパターを投げつけた当時の行為は、いまでも恥ずかしく思っている。
 私が、こんなたいせつなことに気がついた動機は、ハリー・バードン※が彼の故郷でやった模範試合での彼の態度を見てからであった。彼が氷のごとく冷静で、試合の相手を忘れ、『哲学的冷静さ』とすら思える態度でプレーしていることに、まったく驚嘆した。これこそ、真のゴルファーの態度であることに、はじめて気がついたのである。」
(以上原文)

現代解説とこぼれ話

 ゴルフというスポーツが他の競技全般と違う点はゴルフコースが必ず介在し、そのコースと戦った結果により優劣が決まるスポーツだということです。同コンディションのコースがあり、技量にともなったハンディがあり、平等なスコアが算出されます。初心者も上級者もフェアに楽しめ戦うことができる、それが社交や親善にゴルフが用いられる最たる理由だと思います。
 そこで本題の「最大の敵は自分」ということですが、たとえば、林の中に打ち込んだとしましょう。“木々の間をぬって夢のようなスーパーショットで見事にオン! 同組のプレーヤーからは拍手喝采! よーし!!!”なんてやってしまうのはまったくの素人で、「自分に勝つ」ということは技量を正確に把握したうえでそれに見合った「狙い所」、「使用クラブ」を選択、決定することです。そのためには自分に負けない強い精神力が必要です。技量と経験のある上級者になればなるほど、トラブルのときは安全な遠回りを選ぶものです。それこそ100回に1回しか成功しないショットを前提としたプレーを続けている限り、いつまでも大たたきをくり返す哀れなプレーヤーのままです。


解説:広瀬義晋(ひろせ よしくに)

関西学院大学卒。著者の三男。同級生である中部銀次郎とともにジュニアよりゴルフ界で活躍し1966年には世界アマチュア選手権メキシコ大会の代表選手として参戦。1964年関東アマチュア選手権者。

※ハリー・バードン(1870-1937)6度の全英オープン1度の全米オープンを制したイギリス領ジャージー島出身のプロゴルファー(Wikipediaより)

『ゴルフ金言集』とは、 golfbook1

光文社カッパ・ブックス昭和40年初版発行の当時ではまだ珍しいゴルフ指南書。著者が交流を深めていたサム・スニードなど国内外の名手とのこぼれ話や世界のトッププレーヤーたちが残したゴルフの金言名句を日本語訳し解説。当時のベストセラーとなる。

著者:広瀬義忠(ひろせ よしただ) golf_photo

明治30年大阪生まれ。慶應大学経済学部卒。商社マンとして世界を回っているときに、英国でゴルフと出会いゴルフの魅力にとりつかれる。ついには商社を辞めて富士のすそ野に自ら設計したゴルフ場を造る。晩年はゴルフ評論家、著述家として「アサヒゴルフ」「ゴルフジャパン」などに執筆。昭和33年度関西シニア選手権者、富士平原ゴルフクラブ理事長などゴルフ漬けのまま生涯を終える。

Scroll To Top