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映画監督になった天才ファッションデザイナー

映画監督になった天才ファッションデザイナー

コントロールマニアのトム・フォード。映画の現場でも、明確なビジョンと絶対的な美的感性で、チームを率いた

コントロールマニアのトム・フォード。映画の現場でも、明確なビジョンと絶対的な美的感性で、チームを率いた

初監督作品に見える天才の新境地

 2010年の映画界を騒がせた、49歳の新人監督がいる。その名は、トム・フォード。90年代から「グッチ」「イヴ・サンローラン」などのデザインを手掛け、ファッション界の頂点に君臨した人物である。6年前に半ばファッション界を引退した直後に、自身の映画会社を立ち上げた。若い頃は俳優志望だったトム。“次は映画をやりたい”と言っていたのは本気だったのかと周囲を驚かせた。
 その後、クリストファー・イシャーウッドのゲイ文学を下敷きに、2年かけて自ら脚本を練り上げ、完成した映画が『シングルマン』である。ファッション界に君臨していた当時、彼はコントロールマニアで有名だった。毎シーズンのコレクションやブティックが、トムの絶対君主制ともいうべき、洗練された世界観に貫かれていたことは言うまでもない。モード誌の編集長に贈る花から、取材陣のカメラに収まる時の自分の顔の向き、真っ暗な会場でショーの最後に一礼をする時の視線まで、緻密にディレクションしていたのである。映画は、そんな彼ならではの演出が感じられる、完璧な映像美だった。インテリアやファッション、ちょっとした小物の選び方も素敵だ。でも映画を観た後、一番心に残ったことは、そこではない。

 物語は、ゲイの大学教授の話だ。16年間、連れ添ったパートナーを交通事故で失って8カ月。日に日に募る悲しみを終わらせようと、自殺を決意する。人生最後の日、周囲の景色が違って見える。くだらないと思っていた隣家の女の子の会話も、テニスをする学生の体も、秘書の目の瞬きも。思いもかけなかった世界の美しさや日常の価値に直面するのだ。
 トム・フォードは語っている、“この映画のテーマは、人生で一番大切なことは、物ではない。毎日のささやかな瞬間に価値があると伝えることだ”と。絶頂期には、年間16のコレクションで世界中が飛びつくトレンドを作り出し物欲をかき立ててきた、トップデザイナーが辿り着いた境地がこれである。

主演は、トムが熱望したコリン・ファース。監督デビュー作ながら、20の映画祭で14部門受賞、23ノミネートされた。<br /> (C)2009 Fade to Black Productions, Inc. All Rights Reserved.

主演は、トムが熱望したコリン・ファース。監督デビュー作ながら、20の映画祭で14部門受賞、23ノミネートされた。
(C)2009 Fade to Black Productions, Inc. All Rights Reserved.

6年ぶりのコレクションで
取材カメラをシャットアウト

 そんな彼が、自身のブランド「トム フォード」で、6年ぶりのウイメンズコレクションをニューヨークで発表した。彼が6年のブランクを経て、どんな研ぎ澄まされた最新のファッションを発表するのか、注目が集まったが、実にアナログな戦略に出たのである。今、ファッション界は、デジタル情報戦争時代である。ショー会場の最前列には、モード誌の編集長の隣にブロガーが陣取り、最新ルックが発表されるそばからオンラインにアップされる。また、あるブランドは、世界5都市を結んで、大胆なショーの3D衛星中継を試みる。
 トム・フォードは、その情報戦の真逆を突いた。取材陣のカメラはすべて閉め出し、12月までコレクションの全貌を公にしてはならぬと、徹底した戒厳令を敷いたのだ。ニューヨークのファッション業界紙「ウィメンズ・ウエア・デイリー(WWD)」は、苦肉の策で、手描きのイラストで数点紹介した。
 さらにトム・フォードは、ランウェイに180cm以上のアンドロイドのようなプロのモデルを並べるのではなく、彼の顔見知りや女友達に自ら手紙を書き、出演を依頼。映画『シングルマン』にも登場した、女優のジュリアン・ムーアやローレン・ハットン、ビヨンセらが、レトロなナレーションが流れる中、次々に登場した。彼は、ボディサイズも雰囲気も異なる、モデルを一人ひとり採寸し、彼女たちに似合う服をデザインしたという。「グッチ」時代、一様にグラマラスな女性像を描き、黄金期を築いたトムらしからぬ、なんとも親密でハートウォーミングな仕掛けなのである。

 手元に「WWD」が紹介した「トム フォード」のイラストがある。クリックすれば、欲しい情報が得られる時代に、想像力を必要とするイラストだ。でも、眺めていると、だんだん期待が募り、どうしても全容を確かめたくなる。どんな感触の生地でシルエットを描き、新しい美しさを放っているのか。これは、パソコンや携帯の画面の前では、感じたことがない久しぶりのリアルな欲望だ。トム・フォードは、美を作る天才であると同時に、時代の流れを読む嗅覚の持ち主である。人生で本当に大事なものは、物でも情報でもないことに気づいた彼のアナログな戦略が、なぜか今、胸に響いてくる。


トム・フォード
1990年に「グッチ」入社。1994年から「グッチ」のクリエイティブ・ディレクターを務める。2001年から「イヴ・サンローラン」クリエイティブ・ディレクターを兼務し、一時代を築く。2004年グッチ・グループを去り、2005年「トム  フォード」を立ち上げ、メンズやアイウエアを発表。2010年初監督作品『シングルマン』日本公開

文:柴田麻希

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