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【今、伝えたいビジネスのヒント】“余人に代えがたい”人材の育成を目指す

【今、伝えたいビジネスのヒント】“余人に代えがたい”人材の育成を目指す

高度成長期以降、日本の産業を陰で支えてきた人材サービス業は、
今、大きく変わろうとしている。従来の雇用形態とらわれない
新しい派遣のあり方を提唱する日総工産の清水竜一社長に、
産業界のニーズを満たしながら働く人の処遇を改善する
人材育成の重要性について、さらに最近取り組んでいる造船業の
人材獲得に向けた産学官共同のプロジェクト等について伺った。

学生時代から請負現場でアルバイト

――日総工産の創業は1971年、まさに高度成長期の真っ只中ですね。会社を立ち上げられた清水唯雄・現会長は、もともと造船技師をされていたとか。
清水 日本鋼管(現JFEスチール)で溶接の技師をしていました。私はまだ幼かったので、父が独立した前後のことはよく覚えておりませんが。

――伸び盛りだった製造業の現場に、請負へのニーズがあることにいち早く気づかれて起業された。人材サービス業界では老舗ということになりますね。
清水 当時、弊社をはじめいくつかの企業が、工場で必要となる人材を会社として請け負うという業務を始めたんです。

――社長ご自身は大学を出られてすぐには日総工産に入社されず、関西で就職されたそうですが。
清水 兵庫県で設備関係の会社に就職し、現場監督として配線や配管などの職人さんたちを束ねる仕事をしておりました。

――そこで現場のマネジメントを経験されたわけですね。
清水 実は父の方針で、すでに学生のころから会社が請け負っていた製造現場でアルバイトをしておりました。「どうせアルバイトをするなら会社の仕事を経験してみろ」ということで、いわばスパルタ教育です(笑)。アルバイトをした日数を累計すると、大学を卒業するまで丸2年間は日総の仕事に携わっていたことになります。

――日総工産に入社されたのは1988年とのことですが、当時はまだフリーターではなく、いわゆる「出稼ぎ労働者」を中心とした派遣だったのでは?
清水 その通りです。農業や漁業に携わっている方たちが、閑散期に家計を助けるために「出稼ぎ」に赴くケースが圧倒的に多かったのです。地域としては、沖縄や九州の一部のほか、東北や北海道から来られる方が大半を占めていました。

――その後、「出稼ぎ」ではなく、定職を持たないフリーターのような人たちが中心になるのですね。
清水 ただ、その前に過渡期がありまして、地方在住でも農業や漁業に従事せず定職を持たない方たちが「出稼ぎ」に来るケースが増えてきました。彼らは、6か月間「出稼ぎ」で働いた後、失業給付を受けて地元に戻り、その半年後に再び出稼ぎにやってくる、ということを繰り返していたんです。いわゆる都市型のフリーターが出現するのはその後です。

「何が何でも正社員」の時代は終わった

shimizu_sub――だんだんと人材サービスのスタイルも様変わりしていくわけですが、そうした中で御社も順調に業績を伸ばしてこられたわけですね。
清水 バブル崩壊やその後のITバブル崩壊も何とか乗り切り、社業を発展させることができました。ただ、リーマンショックだけは大きな痛手となりました。
 リーマンショックは過去に例がない“鋭角的”な落ち込みを招き、製造業各社への打撃はとてつもなく大きいものでした。各社は軒並み調整局面に入り、当社でも2009年1月から毎月3000名がやむなく調整の対象となる状況が続きました。
 また、その後、東日本大震災が東北、関東を襲い、サプライチェーンの負の面を実感させられることとなりました。3次、4次のサプライヤーが供給する小さな部品一つが届かないだけで、ラインがすべてストップしてしまう、といったことが起こったのです。私どものクライアントも半数で稼働が止まってしまいました。
 ところが、こうした厳しい状況下でも、“余人に代えがたい”技能を備えた人材は、現場から外されるということはありませんでした。現場のニーズに合致し、高い市場価値を有していれば、安定した処遇と雇用を維持できるということです。
 そこで、現場が一度手放すと取り戻すことが容易にできないような、高い価値を持った人材の育成にこそ取り組むべきだと痛感し、社として「人を育てる」ことに注力するようになった次第です。

――そうした高い市場価値を備えた方たちを御社では無期雇用する方針を打ち出されていますね。正社員として登用するということなのでしょうか?
清水 無期雇用イコール正社員かというと、そうではありません。人材として市場での価値が高く、安定した雇用が得られる場合には、正社員にこだわる必要はないのではないかと私は考えています。
 確かに大手メーカーの正社員は処遇もよく安定性も高いといえますが、3次、4次という協力企業ではすべての正社員が好待遇を受けているとは限りません。高い技能を有していても、それに見合う処遇や評価を得ているとはいえないのです。何が何でも正社員、という考え方は、今の時代に合っていないのではないかと考えています。
 就職して正社員として定年まで働きつづける、という雇用のスタイルが長く続いてきたことで、それが正しい雇用のあり方で、それ以外は正しくないという意識が日本社会全体に染みついてしまっているのではないでしょうか。

造船人材の育成に産学官で取り組む

――さて、御社はこのほど、国土交通省の人材育成事業「造船業を目指す若者を増やすための産学ネットワーク構築事業」※を受託されたそうですね。
清水 造船業への就職希望者を増やすことを目的に、大学生や工業高校生などを対象に造船所でインターンシップカリキュラムを実施するというものです。今回は長崎での開催となります。
 歴史を紐解いてみると、造船は日本の強みを発揮できる分野だったのですが、近年は中国や韓国が台頭し、コストやスケールの面で厳しい競争にさらされるようになってきました。結果として人材の不足という状況を招いているのですが、日本の造船分野の競争力が他国と比べて低いかというと、決してそんなことはないと思います。安全性や環境・省エネ対応といった点では、日本が優位を保っています。
 しかしながら、厳しい時期が長く続いたせいで、若い人たちの造船業への関心が薄れつつあるという現実があります。造船業の復活に向けて、若い世代を取り込み、育てていくことが求められています。
 そこで、私どもが培ってきた人を育てるノウハウを生かし、造船事業者および人材を送り出す側の学校と連携して、造船業の活性化に一役買えればということで、今回の事業に名乗りを上げた次第です。行政側と連携して特定分野の人材育成に取り組むのは、弊社としても、業界としてもあまり例がないことです。

――造船といえば、建設機械、産業機械とともに、御社が創業のころから取り組まれている分野ですね。
清水 その通りです。何とも言えない“縁”というものを感じている次第です。
 造船の仕事には他の分野にはない特有のおもしろさがあり、長年従事することで高い技能を身につけることができます。技能者の中には80歳を過ぎても現場で生き生きと仕事をされている方もいます。
 今回のプロジェクトを皮切りに、周辺の分野に水平展開したり、他の領域にも広げていきたいと考えています。ジェット機製造など一時期ブランクがあって再始動した、夢のある分野もありますので。同業他社とも連携して取り組んでまいります。

――最後に、これからの時代の「働き方」について、若い世代に向けてアドバイスをお願いできるでしょうか。
清水 最近の日本の若い人たちは、厳しい競争にさらされる機会が減ったことで、真摯に努力するという姿勢が以前に比べ弱まったように感じます。
 今後、グローバリゼーションが進展していくなか、日本も例外なく海外の人たちを受け入れざるを得ない時代になります。日本人はもともと優れた資質を持っているはずですから、海外からの人材に太刀打ちできるよう自らを磨き、技能の向上に努め、マネジメント力を高める努力が必要でしょう。それが日本の産業力向上にもつながると思います。


※「造船業を目指す若者を増やすための産学ネットワーク構築事業」の詳細は、以下の特設サイトをご参照ください。
www.nisso.co.jp/zousen_saiyo/

清水 竜一(しみず りゅういち)

1961年神奈川県に生まれる。1986年日本大学生産工学部卒業。1988年に父の清水唯雄氏が創業した日総工産に入社。1991年取締役に就任し、その後取締役生産事業本部長、取締役管理本部長等を歴任。2004年社長に就任。2012年10月、人材関係5団体が集う一般社団法人人材サービス産業協議会(JHR)の発足に携わり、理事に就任。日本生産技能労務協会会長や人材サービス産業協議会の理事も務める。

文|千﨑研司

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