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『人間不平等起源論』とニッチ・マーケット

せっかくニッチな市場を見つけても、スピーディーに事を進めなければ他の連中に気付かれてしまう

せっかくニッチな市場を見つけても、スピーディーに事を進めなければ他の連中に気付かれてしまう

「この土地は俺のものだ」

 先日ある大手の古書店のトップと話をする機会があった。彼が言うには今、大学も生徒も増えてはいるが、文学部は縮小傾向が強いとのことであった。英文学専攻の筆者には悲しいことだが、現実は受け入れざるを得ない。そういえば書店へ行っても、昔ながらの文学書や哲学書は隅に追いやられている。
 昔の語学教育は「読み書き」が主体であった。西欧の哲人たちの思想を取り込むことが目的であったからだ。ところが日本が先進国になると、「別に何世紀も前の欧州の哲学者が書いたものなんか読まなくても、会話ができて商売ができればそれでよい」という風潮になってきた。文学部の影が薄くなり、会話学校が栄えるのもそのためだ。
 だがそうは言っても面白いものは面白い。
 ジャン=ジャック・ルソーというスイス生まれの哲学者がいた。人間としてはかなりみだらな男ではあったが、その著作物はフランス革命をはじめとして大きな影響を社会に与えた。その中で私が面白いと思うのは『人間不平等起源論』である。
 中身はほとんど忘れているのだが、冒頭の「文明社会を誰が創設したか」の文章は強烈であった。要するに、「ある土地を囲んで、他のやつらがボヤボヤしている間に『この土地は俺のものだ』と宣言することに気が付いた人間が文明社会の本当の創設者だ」というのである。
 これをフランス語で読まされたのは高校生の頃であった。最初は何を言っているのかよく分からなかったが、会社へ入っていろいろ新しいことを手掛けるようになるとジワジワとその意味が分かってきた。

スピードこそ命

 日本では「王道」と「脇道」はかなりはっきりと区別されている。例えば「乗用車を造る」ことを「王道」とすれば、「福祉車両を造る」ことは「王道あっての脇道」と考えられる。
 以前「上流を目指そう」という項でも書いたが、脇道から王道へのし上がるのは不可能とは言えないまでも極度に難しい。ところが、この脇道もマーケティング用語でいう「ニッチ・マーケット」として確立するとバカにできない収益を上げることができる。
 問題は市場における「ニッチ」(niche)をいかに見つけるかということと、それをいかにマーケットに認識させるかということだ。
 ニッチを見つけることは容易ではない。多分見つけようと思って見つかるものではなく、何らかのニーズとか偶然によることになるだろう。そして、それをマーケットに認識させることは表現の問題になってくる。伝達するためのメディアを含めてのことである。
 肝心なのは「スピード」である。
 ルソーの文章には「他のやつらがボヤボヤしている間に」とある。他の人間が同じことを考えついた時にはもう遅い。これはまさに「何事もスピーディーに運ばなければ他の連中に気付かれてしまうよ」という警告でもあると筆者は解釈している。
 とにかく「ドッグイヤー」といわれる現在、スピードこそが命なのだ。ほら、リンダも歌っているでしょう。「ぼやぼやしてたら私は誰かのいい子になっちゃうよ」って。
 ニッチを見つけたら「自分のいい子」にしなければ意味がないのである。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリッ ク)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時に KDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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