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自己主張

自己主張

はっきりした主張を、相手にわかるように説明することこそが「誠意」の基本

通用しない「誠意」

「誠意を尽くせばわかってもらえる」というのはナンセンスである。「誠意」という概念は日本でしか通用しないし、日本においてすらあやふやなものである。弱肉強食(忘れてはならないのだが、人類も虎や狼と同様の自然の中の生物の一ジャンルなのである)の世界で「誠意」などという概念は全く通用しない。
 例えば交通事故の示談交渉において、被害者側が「もっと誠意を見せて」といえば、それは「もっと金をくれ」ということなのである。ビジネスの世界でも、プライヴェートの世界でも「誠意」などというものはその程度のものである(興味のある方には矢部正秋著『「誠意」の通じない国―米国企業とのつきあい方』をお勧めしたい)。
 日本が世界からそれ相応の畏敬の念を持って見られていないのは、一にも二にも、自己主張が弱いからである。はっきりした主張を、相手にわかるように説明することこそが「誠意」の基本だと考える。
 そのためには自己主張を強く行うことは重要なことだ。はっきりと「何を私は欲しているか」が相手に伝わらなければ物事は始まらない。

通訳を雇う弊害

 ビジネスの根本は交渉(negotiation)である。お互いに要求する所をぶつけ合って、落とし所を探り合い、合理的な決着をつける。そのためにはやはり、自分の考えを明確に相手に伝えなければならない。
 だが「日本語は曖昧である」ということが大きな障害になっている。
 日本語はそれを母語として使用している人口からいえば、世界中の大言語のひとつであり、しかも国連への拠出金はアメリカに次いで第2位の国でありながら、いまだに国連の公用語にはなっていない。したがって、何につけても、翻訳もしくは通訳という余分なコストと誤解のもとが付いて回る。

自己を前面に押し出す

 そこで提案であるが、もっと一人称を使うことをお勧めしたい。日本語の一人称(ヨーロッパ語的で申し訳ないが)は複雑を通り越して怪奇である。わたし、わたくし、私、自分、俺、それがし、みども、わし、余……それぞれが異なるニュアンスを持っている。子供に対していう時には一人称単数は「お父さんは」となる。
 色々な主張をしたい時に「私は○○と主張したい」というと強烈な印象を与えるので、それを避けるために「○○ではないかと愚考する次第である」などと逃げを打つ。
 私が申し上げたいことは、そういう持って回ったような言い方をやめて、「俺の言いたいのはこうなんだよ」的な自己を前面に押し出したセンテンスを書くなり話すなりしようではないかということである。
 最初のうちはおそらく敬遠されるであろう。しかし、一人称がなくて、「△△ではないかと思われる」といった表現に慣れると、たとえ外国語に堪能であっても、なかなか“I believe~”とか“I would strongly insist~”などと言えないであろう。
 再び強烈な主張となってしまったが、私はそう信じて疑わないのである。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリッ ク)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時に KDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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