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書けないことは理解できていないということ

理解しているかどうかを測るためには書いてみれば一目瞭然。理解していないまま書いてもそこに訴求力は生まれない

理解なければ訴求力なし

 たしかアウグスティヌスだったと思うが、「時とはなにか。私は知っているけれど答えることができない」というようなことを言ったそうである。
 彼は哲学者であったので、そういう問題を真剣に考えていた。しかし、このモノローグは非常に重要な意味を持っている。頭ではわかっていても、なかなかうまく説明ができないということは多い。
 表現力以前に自分の考えを持つことが重要だが、ただ考えるだけでは不十分で、それを表現できなければならない。特に現代のビジネスにおいて「表現力」は大きな意味を持つ。外交に関する記事などを読んでいると、「どうしてこの国はこんな無理無体な主張をしてくるのだろう?」と思うことは枚挙に暇ない。だがそれはあくまでも日本人の常識で考えるからで、相手には相手の常識があることを忘れてはならない。しかし、それにしても非常識なことがまかり通るのが外交の世界であり、ビジネスの世界なのである。
 顧客へのプレゼンテイションにしても、管理職昇格試験の論文にしても、自分が理解していないものは、いくらレトリックを使っても、相手に対する訴求力はない。自分で読み返してみて、納得できるのは当然であるが、第三者が納得できるかどうかは保証の限りではない。大事なことは「理解していないことは書けない」という当然すぎるほど当然なことである。では逆はどうだろう?
「書けないことは理解していないということか?」。私はこれも真であると思う。すなわち理解していることは書ける(表現できる)はずであるし、突き詰めれば「理解していることしか表現できない」のである。
 もちろん表現力の問題もあって、訴求力は理解しているだけでは十分ではない。たとえば英文のビジネス文書において、Basic Englishだけで書いたものでは「小学生の作文か?」と思われてしまう。

賛成できないことも理解することが必須

 表現力と訴求力を涵養するためには、やはり多くの書物を読むのと、ディベイトの訓練を積むしか方法はない。
 コンピュータのプログラマはほとんどの場合、「プログラムの書き方」から始める。これは私には問題だと思う。まず優れたプログラムはどのように書かれているかを学んだうえで書くのを始める方が、良いプログラムを書くことができるようになるであろう。
 だからビジネス文書を上手に書こうと思ったら、良い文書を読むことから始めなければならない。
 ディベイトの訓練でも自分の主張することとは反対の立場でも説得性を持った話し方ができれば素晴らしい。たとえば個人的には現政権の経済政策には反対でも、それに賛成する立場から説得性を持ってディベイトができるかどうか。
 そのためには現政権の経済政策が理解できていなければ、ディベイトにはならない。
 それが訓練なのであって、たとえ現政権の経済政策に反対であっても、「自分がそれを推進する立場だったらどうするか」というようなことを常に考えておくと良い。
 サラリーマンたるもの、自分の信念に反したことも行わなければならない場合は多い。そのためには、たとえ賛成できないと思うものであっても、理解することは必須である。理解したかどうかは、書いてみればわかるのである。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時に KDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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