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【提言】 ALEA IACTA EST (賽は投げられる)

数々の名言を遺したカエサル。彼の戦闘や政治の功績から学ぶべきことは多い

【提言】 ALEA IACTA EST (賽は投げられる)

共和政ローマ時代に活躍した政治家・軍人のガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)。
彼が遺した有名な言葉から学ぶべきこととは?

「賽は投げられた」の背景と意味

 日本語では「賽は投げられた」と過去形で引用されるが、それは間違いでこのラテン語は現在形の受身である。“The die is cast”であって“The die has been cast”ではない(ALEA IACTA FUITではない)。
 この言葉を、カエサルはラテン語ではなくギリシャ語で言ったとされている。それを『皇帝列伝』を書いたスエトニウスが適当なラテン語にしたために、あたかもルビコン川を渡ってしまってから「もう引き返せない」と覚悟を決めたようにとられている。
 だが、カエサルは実際にはギリシャ語で“”と言ったのであって、どちらかというと「賽が投げられんことを!」程度の意味である。ただ別の説では、スエトニウスの原文は「ALEA IACTA ESTO」で、最後の“O”が失われたのではないかということで、それならばスエトニウスが「誤訳」したとは受け取れない(“ESTO”ならば“let die be cast”という意味になる)。
 カエサルは『ガリア戦記』を著したことでもわかるように、ちゃんとした文章が書ける男であったことは確かだ。
 カエサルにとっては一か八かの大勝負であった。もちろん実際にサイコロを振ったわけではない。
 ガリアで赫々たる戦績をあげたカエサルがローマへ帰ってくるのは、ポンペイウス一派にとっては心身穏やかならざることであった。そこでガリア総督としての地位を解雇して、ローマ帰還を命じたのだが、口八丁手八丁のカエサルがそんなことでひるむわけもなく、当時の境界線であるルビコン川を越えてアドリア海沿いにローマへ進軍した時のセリフがタイトルのものである。
 彼にどの程度の成算があったかはわからないが、とにかく言葉として「賽」を持ち出したということは、100パーセントに近い成算があったとも思われない。だが、タイミングとしてポンペイウス一派にとっては不利であったこともあり、カエサルはまんまとローマを手中に収め、その後、クレオパトラのエジプトなども支配下に置きローマへ凱旋した。そして終身独裁官になったのであるが、その身分は1カ月ほどのものであって、結局は共和制の崩壊を恐れたブルートゥス一味によって暗殺されるという結果に終わってしまった。

カエサルから学ぶべきこと

 この辺りでカエサルがとった手法というのは面白い。
 まず元老院の定員を600人から900人に増やして、中身を薄めてしまったことである。最近のテレビ放送などを見てもわかることだが、色々なことを発言する人間が増えると、誰が何を言っているのかが希薄になってしまい、結局、視聴者はあらぬ方向に導かれてしまう。コメンテーターだの解説者などが増えれば増えるほど、一般大衆は何が何だかわからなくなってしまう。
 日本に議員が何人いるかはご存知の通りで、大国アメリカよりも絶対数でも対人口比でもはるかに多い。
 企業トップが独裁的な手法を用いたいときには(そしてそれは重要なことでもあるのだが)、コンサルタントなどやプロジェクト・ティームを増やして、いいとこ取りをするということも一つの方法だ。
 そしてカエサルから学ぶべき一番重要なことは、「賽を投げること」、すなわちリスクを取って決断することだ。それができないのならばトップの椅子に座っているべきではない時代なのである。
 カエサルは立派であったがそれ以上に怜悧であった。それをぜひ「賽を投げてみよう」から学んでほしい。

 さて2008年11月から49回にわたって生意気なことを、文学や歴史に絡めて申し上げてまいりましたが、次回第50回でひとまず幕を引くことにさせていただきます。


石原憲一(いしはら けんいち)

1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に引退

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