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【提言】 Onesto Jago, per quel’amor che tu mi porti,

現代では「同じ釜の飯」ということから醸成されていた「相互信頼」が甚だあやふやになっている

【提言】 Onesto Jago, per quel’amor che tu mi porti,

ますますグローバルな仕組みに組み込まれていくこの先、他人との距離はどう測るべきか。 変わりゆく「信頼関係」について考える。

「相互信頼」があやふやに

「誠実なイアーゴよ、そちが余に対して持つまことにかけて」とでも訳しましょうか。英文科出身でありながら悲劇『Othello』よりもVerdiのオペラ『Otello』の方に傾倒しているので、いきなり同オペラの第一幕のセリフを引用した。
 今回申し上げたいことは、部下や他社をどう信用するかという問題。
 かつて日本の社会においては、会社一丸ということが強調され、新人の育成から始まって終身雇用という側面が強かった。会社は家族という考えが浸透し、中には社員の墓(!)まで作る会社も出てきた。
 ところが、善悪は別として、昨今では「即戦力」が重宝され、企業が人を育てるという傾向は薄くなってしまっている。だから転職は、かつてとは比べ物にならないほど多くなっている。うっかり部下や派遣社員を100%信用していると「飼い犬に手を噛まれる」ことになる。
 3月の某半導体製造会社や7月の通信教育・出版の会社の事件などは典型である。データへのアクセス権を誰に与えるか、そういうことが重要になってきた。
 かつて「同じ釜の飯」ということから醸成されていた「相互信頼」というものが甚だあやふやになっている時代だ。上司から見れば「部下は私を信用している」と見えることが多いが、事実はそうでないことも多い。反対に部下から見れば上司が自分を信用しているかどうかは手に取るようにわかるのである。

変化してきた「信頼関係」

 イアーゴというのはシェイクスピアが創造した人物の中でも、特筆に値すると思う。自分を信頼していることを利用して、現代の言葉で言えば「心理作戦」でもって上司オセロに働きかけ、彼を破滅に追い込む。目的は下剋上だ。
 結局オセロを自殺に追い込むが、自分も破滅してしまう。安っぽい言葉で言えば、「喧嘩両成敗」あるいは「人を呪わば穴二つ」というようなことに帰結してしまうが、もちろんシェイクスピアの考えはそんな陳腐なことではない。
 上司が部下を100%信頼することの危うさがよく見える。他方、部下は上司が自分を信頼しているかどうかは明白にわかる。
 昔は「末は博士か大臣か」などと言われ上昇志向が鼓舞された。ところが最近の調査によれば、「管理職なんかにはなりたくない、況や役員なんて」という風潮も見られる。その結果、上司と部下の関係は希薄になってくる。かつてのように会社帰りに上司と部下が赤提灯で一杯などという傾向も薄らいできた。むしろ他業種との意見交換会などもあって、上司と一杯やるよりそちらの方が情報獲得に役立ち、うまくいけば転職にもつながる。そういう時代の上下関係や他部門との関係は大きく変化している。それは社員間だけではなくて、競合他社との関係、下請けや派遣会社あるいは顧客や仕入れ先との関係にまで及んでいる。
 先ほど挙げた二つの例ばかりではなく、最近では仕入れ先の問題で大きく評判を落としたファストフードの会社もあった。
「情報」という非常にセンシティヴなことに限って言えば、二つの例示した会社のことが当てはまるが、このファストフードの会社の例では、仕入れ先への信頼が災いを招いた。
「渡る世間に鬼はない」と日本人は信じてきた。いわゆる性善説である。しかし、それはあくまでも想像の世界、あるいは理想の世界のことであったことが、最近やっと理解されるようになった。『渡る世間は鬼ばかり』というドラマが人気を呼んだのも、こういう社会的風潮が下敷きになっている。
 情けないことではあるし不愉快なことなのだが、これからますますグローバルな仕組みに組み込まれていく時、どうしても「他人を見たら泥棒と思え」という性悪説に与しなければならない時代になってきているのである。


石原憲一(いしはら けんいち)

1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に引退

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