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【提言】 昔聞洞庭水、今登岳陽楼

何がどう変化するかわからない時代において、多くのことに興味をもつのは大切なことである

【提言】 昔聞洞庭水、今登岳陽楼

第42回では「知ったかぶり」や「一夜漬け」の重要性について述べた。これだけ展開が速い時代においてはやむを得ないことでもある。こうして得た一夜漬けの知識というものは遅かれ早かれ記憶の中からは消えていく。しかし、かつて聞きかじった、あるいは一夜漬けしたことが実際に体験できる時が来ると、それはうれしいものである。

多くのことに興味を持つこと

 孔子さまは「学而時習之、不亦説乎」とおっしゃった。私はこれを「知っていたことを実体験する悦び」と解釈している。
 タイトルの漢詩は死ぬ前の年に杜甫が詠った「登岳陽楼」という有名な五言絶句である。思えば杜甫という人はペシミズムに満ちた不幸な一生を送った人であった。10歳年上で親交もあった李白のような酒さえ飲めば見事な詩が口をつくような詩人と違って、杜甫には「苦吟」という言葉が当てはまるのではなかろうか。 李白が長調の音楽を書いたとすれば杜甫は間違いなく短調の曲を書いた人であった。
 杜甫に親しんだ後で李白の「春夜宴桃李園序」などを読むと、李白のハチャメチャさがよくわかる。日本にも歌枕というものがあるが、洞庭湖はそういう意味でも多くの詩人たちのあこがれであったことであろう。
 というわけで広く薄っぺらでもいいから多くのことを知り、そのうちの幾許かでも体験できることはうれしい。そのためにはまず多くのことに興味を持つことから始めなければならない。

ビジネスマンに必要な“野次馬根性”

 多くのことに興味を持つことは、取り分けて現代のように何がどう変化するかわからない時代においては大切なことである。
 最初はInternet書店のような形態であったAmazonが今や「紀州南高梅つぶれ梅はちみつ漬け」まで売るようになっている。
 Diversity(多様性)が多くの企業の生き残りのキーの一つになっている現代、多くのことに興味を持っていることはビジネスマンにとっては重要なことである。
 言い換えれば、「野次馬根性」が求められる。
かつては幅広い知識は紙に書かれたものから吸収するほかはなかった。いわゆる“GutenbergGalaxy”であった。
 しかし、現代においてはかなりの知識はInternetで得ることができる。そうして得られた知識の取捨選択は重要であろうが、ヴァーチャルであれリアルであれ知識の吸収や興味の満足においては、現代ほど便利な時代はこれまでなかった。そして過去と比べればその便利さには桁違いの差がある。
 複雑な経路を辿らなければならない旅程を組むときも、分厚い時刻表に頼る必要は全くない。多くのサイトで旅行距離から運賃まで、たちどころに教えてくれる。
 しかしInternetに興味を持ってあれこれ触ってみないことにはそういう便利さを享受することができない。ネットサーフィンという言葉が昔流行ったが、それが好奇心を満足させてくれた。そうして検索のコツをつかんだ人が、優位な地位に立てる。
 歌枕(という中国語があるかどうかは知らないが)の洞庭湖に憧れ、晩年やっと岳陽楼に登ってその風景を満喫できた杜甫。
 いまではInternetで簡単にその風景をヴァーチャルに堪能できる。
「スクリーンの上では、実地で見るほどの感動は生まれない」という負け惜しみもあろう。しかし、何の予備知識もなくいきなり洞庭湖の風景を見るより、杜甫の詩を読んだり、松尾芭蕉が、私に言わせれば見たこともないのでやけくそになって、松島のことを「凡洞庭、西湖を恥ず」(第42回参照)と言った心中を知ったうえでヴァーチャルにでもよいから洞庭湖の風景を見る方が感激は一入であろう。
 ヒットはしなかったがフランク永井の『旅秋』という歌を聴いて、萩の笠山を訪れたときの感激はいまだ忘れられない。フランク永井を知らなかったら、笠山のことも知らなかっただろうし、そこへ行こうとも思わなかったはずである。
 多くのことに興味を持つことの幸せ感だ。


石原憲一(いしはら けんいち)

1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に引退

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