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【提言】発言の長さに比例して、情報量が薄まっていく

簡単に話すための手段として、「Yes」か「No」でこたえられる質問をしてみるといい

【提言】発言の長さに比例して、情報量が薄まっていく

現代の国際社会では雄弁は絶対的に必要不可欠なものであり、沈黙や謙譲、謙遜は誰も認めてく れない。「簡潔に」かつ「直截的に」言い募ることが重要だ。

「簡潔に」かつ「直截的に」

 温故知新というか、古典から現代のビジネスに資するところはないかを探る企画のこの連載。今回取り上げた文章は古典そのものではない。
 筆者は英文学専攻でありながら卒論を書くに際して中世フランス語でRabelais の『Gargantua』を拾い読みをするという蛮行をしたのであるが、タイトルの一文はRabelaisを研究されている慶應義塾大学文学部教授の荻野アンナさんが20年前に書いた『ラブレー出帆』(岩波書店)からのものである。
 ビジネスの世界では、というよりもこれほどまでに運輸手段(航空機など)とインタネットが発達した現代の国際社会においては、雄弁は絶対的に必要不可欠なものであり、沈黙とか謙譲、謙遜は誰も認めてはくれない。とにかく「簡潔に」かつ「直截的に」言い募ることは必須なのだ。
 問題は「簡潔に」かつ「直截的に」ということ。
 よく入社試験で「英語を生かせる仕事をしたい」などと面接で述べる学生さんがいるが、英語力はともかく、どの程度「日本語で」状況の説明ができるかが問題なのだ。
 多くの会議や顧客との対話で通訳を務めたことがあるが、日本語での「発話の長さ」には泣かされた。外国語から日本語への通訳は比較的楽だ。ところが日本語でステイトメントを述べるときには、まず状況説明から入ることが多い。それも日本とか企業独特の雰囲気とかターミノロジーを使われると難しい。
 極端な例として有名なのは、日本の地方選出の代議士とアメリカの議員との会話である。
「日本は米の国です。アメリカのことを我々は米国と言います。だから仲良くしましょう……」。通訳が卒倒しそうになったことはよくわかる。
 カルチャの違う国の人との対話においてはまず結論を先に述べ、状況とか理由は後から付ける。そういう話しかたをしないと意思の疎通は難しい。また、状況などの説明においては荻野教授のおっしゃる通り「発話の長さに比例して、情報量が薄まっていく」。1分で済むところを3分も4分もかけて話すと聞いている方も疲れる。
「Repetita juant」というローマの諺がある。「繰り返しは役に立つ」ということだが、それは相手が理解していないと思った時には、繰り返して言うことが有用であるということだ。簡単に説明できて相手も理解できることをくどくどと言うことは時間の無駄だ。そして相手の集中力をそぐ。

ピントが合わない会話

 ある管理職会議(100人くらいはいただろうか)で会社の方針について社長が演説した後、質問のコーナーがあった。管理職の一人が、長々と状況説明をして質問の核心に至らないうちに、気の短い社長は一言「私は質問をしてくれと言ったのであって、演説を頼んだ覚えはない!」。
 この社長の気持ち、実によくわかるのである。
 要するにビジネス上や外交上の対話は簡潔に且つ直截的にしないと、ピントをどこに合わせるべきなのかがわからなくなり、国や企業のカルチャの違いもあって、話がかみ合わず、結論も出ない。
 国会の委員会などでの野党側の質疑や政府側の答弁などを聴いていると、全くかみ合わずに議事が進行していることがある。これなど質問する側の状況説明が長い場合が多い。端的に言えば「Yes」か「No」かの質問がぶつけられることが少なく、「XXに関して政府の見解をお聞きしたい」という種類の質問になれば、政府側の思うつぼなのだ。
 顧客であった日本を代表する某大企業では、一つのプロジェクトを開始するためには、どんなに大きなものでも、まずA4サイズ3枚にレジュメを書いて提出する必要があるとのことであった。これでは「簡潔に」かつ「直截的に」ならざるを得ない。長々しくて情報量が薄まることはない。
 あの大企業の躍進の秘密の一端を垣間見たようであった。


石原憲一(いしはら けんいち)

1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に引退。

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