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馬に乗ることも早歌を嗜むことも

徒然草の時代と2012年の日本

 どういう心境からかはわからないが、徒然草の中で、兼好法師が自分と同じ仏門の人々を揶揄しているのは面白い。よく知られる仁和寺の法師については第28回の「提言」で書いたのだが、石清水で恥をかいた法師、またその次の段の「これも仁和寺の法師……」で始まる段も、なにか笑いながら法師の「無邪気さ」(悪い意味で)を語っているようだ。
 第188段の法師の話も面白い。面白いが21世紀においては看過できない問題もはらんでいる。
 この段は法師になろうとした若者が、檀家で恥をかかないために乗馬を習い早歌をも嗜んでいる間に、肝心の仏教を習うこともできなくて歳をとってしまうという話だ。教訓として一番大事なことを旨としてまずそれを習い、それ以外のことは「うち捨てよ」と言っている。
 確かにその通りであることは間違いない。法師になろうとして仏教はそっちのけで乗馬や早歌に励むことはよろしくない。
 しかし、21世紀にはそうも言っていられないことも確かなのである。

網を広げてあれもこれも齧ってみる

現代のビジネスシーンでは、特定の分野でエクスパートであることは危うい。網を広げてあれこれと齧ることが大切だ

 世界においても、国家においても、またビジネスの世界においてもパラダイムの変遷は著しく速い。ドッグ・イヤーといって一昔前には7年かかって変遷したものがわずか1年で完了してしまう。現在所属するビジネスというか業態が明日同じ姿をとどめている保証はどこにもない。いや、むしろとどめていない確率の方が高い。また企業間の吸収や合併も頻繁に行われる。
 すなわち「この会社に一生をささげよう」という考えが希薄になっていく。そういう時代に一つだけの分野でエクスパートであることは危うい。
 たとえば一昔前には「ブラウン管の専門家」というのは大いに尊重され優遇されてきた。しかし今や液晶とかプラズマの全盛時代になったときに、鋸歯状波がどうのラスタースキャンがどうのといったところでお呼びはかからない。「これだけはよく知っている」といってもその知識が明日役に立つ保証はないのだ。
 逆に言えば、自分の現在の専門領域に目に見えた関係はないことも、知識を深めておけば役に立つ可能性だってあるわけだ。この法師になろうとした若者も、鎌倉時代や南北朝時代のようにゆっくりと時が流れる時代に、旨とすべき仏法の勉強を軽んじたことは大きな問題である。
 しかし時の流れとともに、仏法の説教を、吟遊詩人のように馬に乗って各地を巡りながら、歌に乗せてするようにでもなれば、この法師になろうとした若者も脚光を浴びることになったかもしれない。「一寸先は闇」という言葉も「芸は身を助く」という言葉も共にじっくりかみしめなければならない世の中なのだ。私も現役時代に冗談で「歌って踊れる役員を目指す」などと言ってカラオケに通ったものだが、それはあまり仕事上役には立たなかった。
 だが何が重要になるかはわからない時代だ。投網のように網を広げて、あれもこれもかじ齧ってみておくことは大事なことなのだ。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時にKDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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