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龍田川というのは、そりゃぁ金さん、相撲取りだよ

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世界では通用しない
日本独特の「誠意」

国際的な案件において、すでに“日本独特の誠意”は100%通用しなくなってきている

国際的な案件において、すでに“日本独特の誠意”は100%通用しなくなってきている

 第12回(「自己主張」)や第21回(「表現のテクニーク」)で表現について書いてきたが、最近は少し考えが変わってきた。特に第12回や第19回(「突如、あなたの上司が中国人になったら」)においては日本独特の「誠意」についても言及した。
 最近のわが国をめぐる種々の国際情勢において、歯がゆい思いをしている向きも多かろうと思われる。
 特に領土問題などにおいての一番のポイントは、はっきりとした立場を明瞭に言わないでなんとも奥歯に物が挟まったような言辞を弄していることである。歴史的事実をいくら述べても実効支配の前には何の役にも立たないのである。
 対抗国の発言を見ていると、「よく言うよ」ということが多い。日本人にそれができないのは「誠意」という言葉の魔術にかかっているからだ。
「繰り返し正しいことを主張していればいつかは分かってくれる」というのは国際間の交渉事においては通用しない。
 良い例でないことは重々承知しているが、ヒトラーをはじめとする国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の思想がなぜドイツにおいてあれだけの支持を受けて拡張していったかを考えてみるとよく分かる。
 彼らは「正しいこと」ではなくて「自分たちにとって都合のいいこと」を客観性などかなぐり捨てて、繰り返し繰り返し広範囲に喧伝していったのである。もちろん彼らの主張がはじめからは一般には受け入れられないことは百も承知であったのだ。
 ローマことわざの諺に「Repetita juvant」というのがある。直訳すれば「繰り返しは助けになる」ということだ。
 NSDAPはその手法でもってアーリア人種こそが世界を支配しなければならないという暴論をばらまいてあれだけのことを達成したのである(最終結末はひどいものであったが)。
 繰り返し暴論を述べるということは受け入れてもらうのには大変役に立つ、言い換えれば暴論を受け入れてもらおうとすれば繰り返しが重要なのである。

バカ正直では乗り切れない

 われわれ日本人は幼いころから「誠意」や「正直さ」の重要性を説かれてきた。ワシントンと桜の木の物語などを通じて、正直や誠意は世界共通のこととの認識を植え込まれてきた。
 だが、これだけ国際化が進み、どの国においても移民や人種などが大きな問題になってくると、はたして一民族内で通用していた誠意なる概念が世界に共通で通用するかというと疑問に思わざるを得なくなったと思う。
 落語の「千早振る」をはじめとする多くの根問いものは、どれも他愛のないもので、「無学者は論に負けず」というベースで事が運ぶ。「水括る」が「水潜る」になってもどうということはない。
 いろいろなことを知ったかぶりして珍解説をするご隠居は笑って済ますことができるが、実際にビジネスの場において、特に国際的な案件において単に正直とか誠意とかが100%通用するものかどうか考え直す時ではなかろうか。
 今回は別に「悪の勧め」という観点から書いたものではない。ただ「正直の上にバカが付く」(=バカ正直)では乗り切れないことが多すぎるということを申し上げたかっただけである。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリック)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時にKDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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