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社員教育と自己研鑽

ブログを開設し日々感じることを表現するのは、自分の考えをじっくり見つめることにつながる

ブログを開設し日々感じることを表現するのは、自分の考えをじっくり見つめることにつながる

変化した社員教育

 終身雇用という我が国独自の「暗黙の了解に基づく」システムも崩壊してから久しい。したがって、社員(英語のemployee「被雇用者」という言葉の方が適切であるが)募集の眼目としては「即戦力」に重点が置かれる。これまでのように新入社員をじっくりと教育して育てるという時代は遠のいてしまった。
 1960年代に大学を出て就職した会社では、実に手厚い教育をしてくれたものである。現在でも「社員教育」はそれなりに行われているであろうが、少し前に比べればかなり質、量ともに落ちているのではないかと思われる。しかも複雑な現代社会においては、かつて要求されたものよりずっと多岐にわたる知識や経験が要求される。前号でも書いたoff-JTでは扱いきれなくなってきていることも確かである。それが企業側の社員教育の劣化のアリバイに使われているとすれば残念なことであるが……。

増加する可処分時間

 これは企業側が心しなければならないことだが、よく言われるCS(顧客満足度)を向上させようと思えばES(Employee Satisfaction:社員満足度)の充実をまず図らなければならない。ESの中には当然、社員の仕事に対する積極性も含まれる。不満だらけの社員が優れたCSを達成することはあり得ない。ESの充実度は当然、企業に対する忠誠心(時代遅れの言葉かもしれないが)に反映する。
 翻って現実の社会を見てみると、不景気で仕事量は減少し、残業はなくなり、個人の可処分時間は増加している。無為無策でぼんやり過ごしていれば、今後ますます激しくなるであろう競争社会で生き残るのが難しくなる。
 人間万事塞翁が馬。この時間を利用して自己研鑽に励むことが重要であると主張したい。「会社が教えてくれる」ことにはすでに期待できない時代に入っている。それを自覚することが必要である。

“雄弁こそ金”

「何を勉強したらいいか分からない」というような人は、まず「表現力」や「発言力」の強化に励むべきである。外資系企業で働いてきて痛感しているのは、日本人の論争を好まないことのデメリットである。「沈黙は金」というのはとんでもないまやかしである。インターネットであっという間に情報が世界を駆け巡り、多くの人に影響を与える時代においては“雄弁こそが金”なのである。
 表現力や発言力を考える時、レトリックも重要ではあるが、その前に「自分の考えを持つこと」が大前提である。「あの人は何を考えているか分からない」あるいは言語明瞭意味不明瞭と言われるようではだめなのだ。まず「善悪、あるいは好悪はともかく、あの人の考えは分かりやすい」と言われるようにすることから始めなければならない。
 自分の考えを明確にして他人に伝達する技術(あえて「技術」というが)、これをこの時間が余りがちな今、研鑽することが、将来のためになるであろうことを申し上げたい。一つの案としてはブログを開設して、自分の日々感じることを500字~1000字くらいで表現することである。「文章」に表すことは自分の考えをじっくり見つめるのに役に立つのだから。


石原憲一(いしはら・けんいち)
1962年慶應大学卒業(英文学専攻)。日本Olivettiに入社し、ソフトウェア統括部長、子会社社長を経て、1982年GE(ゼネラルエレクトリッ ク)社にて商用ネットワーク部門を担当、電通国際情報サービス常務取締役を兼任。1999年に退職後もGEに嘱託として残り、同時に KDD、シェル・サービス、JetFormの顧問やコンサルタントとして2003年末まで勤め、現在は長野県の森の中で隠遁生活中

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