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美しい国、南アフリカの現実と投資機会

南アフリカ概略

南ア第2の都市であり、アフリカ南端に位置するケープタウンにある喜望峰(Cape of Good Hope)。1497~1498年、バスコ・ダ・ガマはここを経由するインド航路を発見した。ネルソン・マンデラが幽閉されたロベン監獄島はこのケープタウンの地にある。南アはアフリカの希望となることができるだろうか

 南アの国土は日本の3倍強(122万平方キロメートル)で、行政府が所在する首都はプレトリア。日本ではあまり知名度がないが、区画整理された計画都市である。首都からケープタウンまでは約1700km、かのオリエント・エクスプレスを凌駕する世界で一番豪華な列車(ギネスブック)「ブルートレイン」で1泊2日の行程だ。そして鉱山・電力エネルギー都市ヨハネスブルグは首都から約70キロの距離にある。
 同国は動植物の宝庫で、クルーガー国立公園では獲物探しのような気分で自然の動物達と出会えるドライブを楽しむことができる。国の動物として指定されている、優美に飛び跳ねるスプリングホッグスは、南アフリカ航空のシンボル・マークとしても採用されている。南アには同名の強豪ラクビーチームがある。
 世界一の金(世界シェア40%)の産出国であり、ダイヤモンド、プラチナ(世界シェア88%)など希少金属も多く、ステンレス素材であるフェロクロム産出も世界一である。内戦の資金源となる紛争ダイヤモンド禁輸に係る国際法キンバリー・プロセスは、この国の鉱山都市キンバリーに由来している。また、南アフリカ産の中々いけるワインを生産している中心地ワインランドも広がる。

稀に見る悪法に基づくアパルトヘイト史と資源

 アフリカは、もともと多数の部族的社会が形成されていた土地に、西欧列強が進出、支配し、統治領域の確認のために恣意的人為的な国境線が引かれたという歴史を持つ。
 南アは1652年、貿易立国オランダ東インド会社がケープ植民地を作ったのが始まりといわれる。1910年には南アフリカ連邦が設立された。英蘭間の植民地収奪戦争でオランダから、大英帝国に支配権が移行する。1960年代、70年代には、北と南の経済格差(南北問題)、多国籍企業の富の収奪と独占に対する批判が世界の植民地で湧き上がった。こうした思想を背景に、1960年は「アフリカの年」といわれ、アフリカ大陸の17カ国が独立・国家承認された。
 西洋社会に対して市場価格を下回る価格で金やウラン、マンガン、クロムなどのレアメタルを供給し続け、永遠の白人王国と思われた南アも例外ではなかった。1960年のバス差別などに反対する黒人暴動と治安当局の対立が尖鋭化した「シャープビルの虐殺」を経て、1961年には南アフリカ共和国が設立され英連邦から離脱した。1991年には、隔離施設留保法、原住民土地法などの悪法をベースとしたアパルトヘイト差別制度が撤廃された。黒人を動物のように扱い、居住から恋愛・結婚まで経済的、精神的自由を奪い徹底的に差別してきた社会身分制度であった。
 1994年には、南ア史上初めて、黒人を含む全人種に参政権が付与された総選挙が実施され、ANC(アフリカ民族会議)が圧倒的多数(66%)の議席を獲得した。破壊活動罪でケープタウンのロベン島に投獄されていたウィニー・マンデラが復活・政権を樹立し、英連邦にも復帰。1997年2月新憲法が発効。議会は全国州評議会と国民議会の二院制を採用した。ノーベル平和賞を受賞したマンデラは国際的なセレブになり、旧宗首国オランダ・アムステルダム市を巡る運河での船上パレードでも大歓迎を受けた。
 その後総選挙を経て、97年ムベキ大統領、08年モトランテ大統領、本年5月にはズマ大統領が誕生した。南アは、アフリカ全体の政治経済的のリーダーでもあり、アフリカの約30%の富を創出している。

金売却・戦闘機購入、治安悪化のパラドックス

 総人口(4790万人・2007年時点外務省/世界銀行)の約10%弱の白人が、80%を占める黒人、混血を支配する構造が長く続いた。差別政策の下で、人口の80%を占める人々を、ホームランドと称される国土面積の約13%程度の不毛の土地に強制移住させ、先述の原住民土地法で長期にわたって隔離してきた。今日では、黒人に対する法律上の差別は撤廃されたとはいえ、高い失業率、HIV感染率も20%以上という状況で、却って貧困層が増大して治安が悪化しているといわれている。外務省は、ヨハネスブルグのダウンタウン、プレトリア駅周辺、ケープタウンのウォーター・フロント、高級ホテル内、タウンシップ(いわゆる黒人居住区)、ダーバンなど、旅行者を巻き込んだ様々な犯罪が多発しているとして、注意を喚起している。
 南ア軍は、金売却の見返り資金で、フランスから最新鋭のミラージュ戦闘機を、イスラエルからミサイルを輸入したといわれるほど、国防費に多額の国家予算をつぎ込んでいる(約50%)。鉱物などの天然資源は、南アの鉱山会社から、いったん政府が固定価格で買い上げ、これをスイス・チューリッヒ、ロンドンの国際市場で売却して外貨を獲得するというシステムをとっている。資源国ではあるが自動車などの製造業も盛んで、金融・サービス業の比率が約65%と高いことも特徴的だ。

金融・通貨市場と投資機会

 GDP成長率は5.1%(07年)、対GDPの公的債務比率は30%に近い水準から20.7%に改善している。CPI(物価上昇率)は4.5%。南アの通貨ランドは、ZARと表記される。95年まで、非居住者の金融投資用ランドと居住者国内取引ランドの2種類が使用されていた。為替相場は変動相場制を採用、1米ドルが約8ランド。南アのみならず、小国のスワジランド、ナミビア、レソトでも使用され、共通通貨圏を形成している。為替市場では、18世紀以来の英国投資の影響が残り、ポンド建通貨取引の比率も約1/4を占める。スワジランドを始め、近隣諸国ではマラウイ、ボツワナが経済的に南アに従属している。外貨準備高は約295億ドル、貿易収支は-62億ドル。南アフリカ中央銀行は政策金利はこの8月に0.5%下げて7.0%、プライムレートは11%に維持している。
 国際金融危機後、GDP、個人消費、住宅価格の落ち込みが見られる。株式市場も年初から14.6%の上昇(8月7日)しているが、BRICSのパフォーマンスより低い。日本でも、南ア・ランド建債券(発行体は世界銀行)、株式投信購入、高金利のランド建外貨建預金などが可能であるが、分散投資先として次のような特徴とリスクが考えられる。

・米国、欧州経済動向、投資家のリスク許容度の振幅の影響
・高金利国通貨としての魅力(政策金利7.0%)
・政治的な安定と西欧的な経済社会システム
・国際資源価格との連動が高いコモディティ通貨
・金産出国として、ランド為替レートと金価格との関連性が高い
・資源会社の株式取得、M&Aなどの情報にランドが敏感に反応
・予見が難しい周辺地域の紛争、HIV感染率などリスク要因βを考慮

日本との関係・展望

 昨年、第1回「アフリカ開発会議」が横浜で開催された。51カ国のアフリカの国々の首脳、国連、世界銀行も参加した。単に円借款やODAなど経済的協力を越え、国連で数の力を持つアフリカ諸国から、日本の安全保障理事会入りの為に支援を受けたいという国際政治戦略的な視点も見られた。
 日本人はかつて南アで名誉白人と呼ばれた。日系企業で働く労働者に飢餓賃金程度しか支払わず利潤最大化を計っていると批判を受けた当時の日本企業も、アパルトヘイト終焉という時代の流れに協力する態度を示さざるを得なかった。現在日本の多国籍企業の進出はトヨタ自動車、本田技研、デンソーなど自動車関連の部品製造会社、ニッケル、マンガン、クロムなど資源投資を行う住友商事など70以上に上る。
 最近では、南アフリカなどの新興経済国と先進国の経済的が必ずしも相関しないという「デ・カプリング論」が再び議論され、資源市場へのリスク・マネーの流入で資源価格が高騰、それに連動して資源国通貨である南アフリカの通貨ランドが買われた。このように通貨高が加速したことで、日本の南アからの輸入コストを押し上げている。
 低所得、労働条件への不満、高い失業率(08年22・9%)が続く状況で、不法移民に対する襲撃事件、プレトリア、ヨハネスブルグなどで日夜多発する犯罪解決は、来年にワールドカップを控え、最重要課題のひとつとなっている。労働者のストライキ、デモ行進、デモ隊と治安当局と衝突も多い。重層的な貧困構造が改革され得ない限り、根本的な解決にはつながらないだろう。
 南アは、様々な資源に恵まれた美しい魅力的な国である。ワールドカップがなくとも、是非とも訪ねてみたい国であろう。それまでに、不幸な過去において虐げられてきた層の人たちが、経済的に自立し、自信を持って生活を楽しみ、町の顔である広場のカフェや商店が、安全で活気に溢れたエリアになっていることを切望する。


文:西村訓仁 構成:羽田祥子(編集部)

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