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	<title>BUAISO.net － 都市と都市をつなぐインターシティメディア &#187; 連載</title>
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	<description>BUAISO 都市と都市をつなぐインターシティメディア[BUAISO:ブアイソー]</description>
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		<title>Decline and Fall</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 03:00:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[提言]]></category>

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		<description><![CDATA[衰亡は興隆の後にやって来る 　1980年代からバブルがはじけるまでのわが国の昇竜の勢いというものは、実際にその中に身を置いたものでなければ分からないほどのものだった。“Bubbly”などという本当に英語にあるのかどうか分からない形容詞までが幅を利かせていた（“Bubbly”で泡のような、という意味では存在している）。そそっかしい哲学者などは「21世紀は日本の世紀」などと口走ったりしたものだ。 　それに引き替え現在の様子を見ていると、これが同じ国かと思うほどである。当時は楽観論が花盛りだったが、現在は「災害」「円高」「空洞化」「少子化」など、悲観論が優勢だ。 “Decline and Fall”は普通「衰亡」と訳される。ギボンにとってはローマ帝国の興隆よりも衰亡の方に興味があったのだろう。 　考えてみると、「衰亡」は必ず「興隆」の後にやって来る。思えばバブルに至るころのわが国の興隆は、すさまじいと言ってよいようなものだった。振り子は片一方にだけ振れているものではない。必ず戻ってくるものである。振り子が大きく片一方に振れれば振れるほど、その戻りも大きい。 「ゆっくり急げ」 　ここで思い出すのはセントヘレナに流されたナポレオンの回想。1821年3月17日、彼はその6年前にエルバ島を抜け出し、パリを指呼のうちに望んだ時を思い出してこう書いている。 「私を滅ぼすのは私の弱さではなくて、反対に、私の強さである。私を殺すのは私の生である。……六年前のちょうど今日、あの空には雲が浮かんでいた。噫、今一度あの雲が見られたら、私の病気も癒るであろうになあ！」（ナポレオン作品集　若井林一訳　読売新聞社刊） 　6年前のナポレオン軍の意気は高かった。そういう時を経験したナポレオンにして初めてこういう回想ができるのだろう。 　換言すれば、絶頂期を経験したことによって、その没落による落差がひしひしと身に染みるということだ。 　負け犬となったナポレオンが「昔は良かった」と言っているところを見ると、何か哀れさを感じるが、それが人間の業かもしれない。 　思えばバブルに至る日本の絶頂期も、それに劣るものではなかった。当時のわが国の首相はフランスのシャルル・ド・ゴール大統領から「トランジスタのセールスマン」とさげす蔑まれながらも、GDPでは世界2位となった。フランスなんて足元にも及ばない。 　その急速な上昇にふさわしい下降を、今、味わっていると言っていいだろう。下降を嫌って無理にブレーキをかけても、ブレーキが壊れる可能性は高い。 　現代のように目まぐるしくパラダイムが変遷する時代においては、急速に対応すべきことと、長い目で見た思考というものをはっきりと分けて対処する必要がある。 “Σπευδε βραδεωσ”：『ユートピア』を書いたエラスムスがラテン語に訳して「Festina lente」としたことによって人口に膾炙（かいしゃ）した言葉「ゆっくり急げ」。これこそが下降曲線の時に肝に銘じておくべきことだろう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix">
<h4>衰亡は興隆の後にやって来る</h4>
<div id="attachment_14546" class="wp-caption alignright" style="width: 270px"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2012/01/no48_teigen_ph01.jpg" alt="「衰亡」は必ず「興隆」の後にやって来る。 「衰亡」の後に「興隆」は訪れるのか……" title="「衰亡」は必ず「興隆」の後にやって来る。 「衰亡」の後に「興隆」は訪れるのか……" width="260" height="180" class="size-full wp-image-14546" /><p class="wp-caption-text">「衰亡」は必ず「興隆」の後にやって来る。<br />「衰亡」の後に「興隆」は訪れるのか……</p></div>
<p>　1980年代からバブルがはじけるまでのわが国の昇竜の勢いというものは、実際にその中に身を置いたものでなければ分からないほどのものだった。“Bubbly”などという本当に英語にあるのかどうか分からない形容詞までが幅を利かせていた（“Bubbly”で泡のような、という意味では存在している）。そそっかしい哲学者などは「21世紀は日本の世紀」などと口走ったりしたものだ。<br />
　それに引き替え現在の様子を見ていると、これが同じ国かと思うほどである。当時は楽観論が花盛りだったが、現在は「災害」「円高」「空洞化」「少子化」など、悲観論が優勢だ。<br />
“Decline and Fall”は普通「衰亡」と訳される。ギボンにとってはローマ帝国の興隆よりも衰亡の方に興味があったのだろう。<br />
　考えてみると、「衰亡」は必ず「興隆」の後にやって来る。思えばバブルに至るころのわが国の興隆は、すさまじいと言ってよいようなものだった。振り子は片一方にだけ振れているものではない。必ず戻ってくるものである。振り子が大きく片一方に振れれば振れるほど、その戻りも大きい。</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h4>「ゆっくり急げ」</h4>
<p>　ここで思い出すのはセントヘレナに流されたナポレオンの回想。1821年3月17日、彼はその6年前にエルバ島を抜け出し、パリを指呼のうちに望んだ時を思い出してこう書いている。<br />
「私を滅ぼすのは私の弱さではなくて、反対に、私の強さである。私を殺すのは私の生である。……六年前のちょうど今日、あの空には雲が浮かんでいた。噫、今一度あの雲が見られたら、私の病気も癒るであろうになあ！」（ナポレオン作品集　若井林一訳　読売新聞社刊）<br />
　6年前のナポレオン軍の意気は高かった。そういう時を経験したナポレオンにして初めてこういう回想ができるのだろう。<br />
　換言すれば、絶頂期を経験したことによって、その没落による落差がひしひしと身に染みるということだ。<br />
　負け犬となったナポレオンが「昔は良かった」と言っているところを見ると、何か哀れさを感じるが、それが人間の業かもしれない。<br />
　思えばバブルに至る日本の絶頂期も、それに劣るものではなかった。当時のわが国の首相はフランスのシャルル・ド・ゴール大統領から「トランジスタのセールスマン」とさげす蔑まれながらも、GDPでは世界2位となった。フランスなんて足元にも及ばない。<br />
　その急速な上昇にふさわしい下降を、今、味わっていると言っていいだろう。下降を嫌って無理にブレーキをかけても、ブレーキが壊れる可能性は高い。<br />
　現代のように目まぐるしくパラダイムが変遷する時代においては、急速に対応すべきことと、長い目で見た思考というものをはっきりと分けて対処する必要がある。<br />
“Σπευδε βραδεωσ”：『ユートピア』を書いたエラスムスがラテン語に訳して「Festina lente」としたことによって人口に膾炙（かいしゃ）した言葉「ゆっくり急げ」。これこそが下降曲線の時に肝に銘じておくべきことだろう。</p>
</div>
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		<item>
		<title>EU首脳会談で勃発した「三銃士」英仏の対立対立</title>
		<link>http://www.buaiso.net/column/regular/kinyu/14551/</link>
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		<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 03:00:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[金融多論]]></category>

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		<description><![CDATA[目前の危機回避議題からずれた EU首脳会談 　去る2011年12月9日に開催された欧州連合（EU）首脳会談において、資金調達が懸念される債務国に対して国際通貨基金（IMF）経由で2000億ユーロ（約20兆7000億円）の救済資金拠出が決定された。しかし、金融市場のプレーヤーたちが期待したような巨額かつ即効的な資金拠出については決定されなかった。 　この会議は、差し迫る欧州債務問題と金融危機を回避する重要な意味を持ったばかりか、将来のユーロ共通通貨の存続を協議する舞台でもあった。ところが、EUの中で圧倒的な経済力を持つドイツはユーロ共同債創設に反対した。 　同時に、財政政策の統合に連なるフランスのサルコジ大統領が推進した汎欧州金融取引税については、イギリスが拒否権を発動するに至り統一欧州実現に陰影を与えた。そこでは欧州政治が好む予防措置の拡充が議論され、目前の危機に対する認識に欠けた内容と捉えられる。 　すなわち、連鎖する欧州債務危機と今後の金融危機への処方せん箋をめぐり、欧州大陸諸国とイギリスが溝を深めた。ユーロ共通通貨の推進役でヨーロッパ国際政治の盟主であるフランスが、財政の優等生であり、几帳面でお堅いドイツの意向を汲んで条約化を目指した制裁（罰則）付き財政規律案も非ユーロ通貨圏加盟のイギリスに拒否権を発動されるという事態に直面したのだ。 “真面目なキリギリス” ドイツの憂い 　今回導入が討議されたユーロ共同債とは、欧州内で実質的に財政が破綻したり、財政赤字が大きく資本市場から資金調達ができない国々に対して、欧州域内の国々が共同で発行する債券である。 　その共同債券や、欧州金融安定基金（EFSF）などを通じての資金調達において、発行体が投資家から容易に調達できるように「AAA」という最上位の格付けを持つドイツの保証が付与され、信用力が強化される予定であった。また、フランスからも最上位格付け国としての保証を付けられるはずだったが、同国国債は他の欧州諸国と共に格下げされ、同時にEFSF債も格下げされた。信用にかかわる問題がこのように浮き彫りとなった。 　万一この債券がデフォルトすれば、保証を付与したドイツは理屈の上で、勤勉なドイツ国民が蓄えた社会保障費を削減してでも、あるいは増税してでも、他の債務者に代わり債務弁済を行わなければならない。南国の太陽の下で、仕事がなく仕方なくチェスに興じる人々や、域内の肥大化した公務員の暮らしを守らねばならない法的な義務が生じるのである。 　従って、ドイツとしてはそうした被救済国の財政規律や財政数値がモニターでき、納得できる水準にない限り、この共同債を発行するという手法には合意できないのは当然だろう。ドイツのメルケル首相は、最近の地方選挙で敗退しており、国内の政治的な基盤は必ずしも強くはない。欧州債務問題の行方が今後のドイツキリスト教民主同盟（CDU）の選挙結果と彼女の2年後の首相選挙に影響を及ぼすだろう。欧州問題の大きなカギを握るドイツの動向は、今年も注目される。 仏案に対する英国拒否権の発動と EU離脱の可能性 　一方、イギリスは先に述べたように財政規律の条約化に拒否権を発動した。イギリスは、自国の一大産業として、一国で欧州の金融収益のおよそ7割を稼ぎ出すロンドン・シティーに象徴される金融業を持つ。 　言うまでもなく、ロンドンはグローバルな国際銀行、オイルマネー、ヘッジファンドなどから巨額の投資資金を引きつけるアングロサクソンの同胞・米ニューヨークのウォール街に次ぐ市場規模を誇る巨大なマネーセンターである。 　それ故、イギリスの稼ぎ出す金融収益が主たる課税対象となり国際競争力が大きく減じるような欧州統一税にも、財政政策への制限にも賛同できない。財政規律条約の参加条件として、フランスの提案するEUの金融取引税を受け入れないとしたが、これが拒絶された。その報復として、財政規律の条約化に拒否権を発動したわけである。 　すでにイギリスは2011年1月より銀行税を導入している。もっとも、銀行税といっても長期負債にかかる税率が低率で、汎欧州的に課税される金融取引税とは異なる。徴収された税収は所得再配分の形で、自国の貧困層、社会医療、環境関連などに使われるものである。 　このイギリスの銀行税に対して、欧州大陸の提案する金融取引税はより包括的で、金融機関の投機的な行動を抑止する意図を有すると考える。 　加えて、条約化を目指す財政規律は、年率で財政赤字を対GDP比0.5％以内に、政府債務を対GDP比60％以内に抑えるという1999年のユーロ参加基準に基礎をおく厳しいものである。 　これはイギリス人の持つプラグマティズムに照らしても実現性に乏しいものだ。 　首脳会議の勢いの中で、この議題に当初賛成の意向を示したユーロ圏17カ国とその他の6カ国も、各国の議会や国民の承認を得なければならず、2012年3月の条約調印に向けた道のりは楽観できない、と考えられる。財政新条約ドラフト案では、9カ国の批准で発効すると原案には明記されたが、京都議定書のように非参加や脱退（カナダ）のような事態も起こりかねない。 　イギリスは、周知のようにユーロ共通通貨制度にも欧州シェンゲン協定（欧州域内の移動の自由などを認める条約）にも加入しておらず、今回汎欧州金融取引税締結にも不参加。その一方で権利のみを主張することはできないと思われる。 　すでに市場が織り込んだとおり、フランスは格付けが1ランク下げられ「AAA」の最高ランクから「AA＋」となった。これにより今後EFSFの発行に支障をきたす可能性も出てくる。先の首脳会談でサルコジ大統領は、フランスが格下げされるのであれば、財政赤字と低成長のイギリスも格下げされるべきだと報復に出ている。イギリスの世論は、欧州統一懐疑派を中心にフランスにもEUに対しても距離を置く姿勢が強まる。 　イギリスについては、EU離脱論とアメリカとのさらなる関係強化論も出ている。柔軟なビジネス基盤を持つイギリスは、日本を含めた多国籍企業の生産・輸出拠点でもあり、欧州大陸向けは輸出の約40％を占めるといわれている。通貨でもユーロに対して緩やかなるポンド安が輸出企業には理想である。この点でも、イギリスと欧州大陸との安定した関係が望まれよう。 欧州債務危機に有効な解決策は 　欧州債務危機は、ラガルドIMF総裁によれば、アメリカ、アジアのいかなる国々も影響を回避することはできないと声明を出した。先進国クラブである経済協力開発機構（OECD）も、欧州、アメリカ、日本、中国、アジアの諸国が影響を受け、2012年の経済成長率が低下するとしている。それでは、欧州債務連鎖はどうしたら食い止められるのか。 　3000億ユーロの国債残高を有するギリシャのデフォルトを回避しながら、連鎖を食い止め、銀行を救済し金融システムに影響が及ばぬように市場の投機的な動きをコントロールできれば一番良いだろう。すでに資産家が海外へ資産を移し公務員が国民の40％を超えるギリシャは、海運と観光を除いたらさしたる資源もない。デフォルトしても通貨切り下げによる再スタートの成長の糧が見えにくい。資源と産業に恵まれたブラジルやアルゼンチンのようなデフォルトから這い上がった成長パワーを感じない。 　状況が予想を超え市場が混乱する場合、通貨増刷、欧州中央銀行（ECB）によるさらなる国債買い入れも視野に入ってくるだろう。 　EUの対策として今後、新興国などを巻き込んだ直接投資を呼び込む魅力的な投資インフラの整備、債務国へBRICs諸国など日米以外からの拠出を求めることもあろう。そして選択的なコスト削減、欧州諸国が進めている増税と政治家・公務員の数の見直し、債務国の金融資産、国有財産の処分、ありきたりだが、規制緩和による中長期的な成長で税収を回復、欧州の持つ国家的なブランド力の金融化などが考えられる。しかし、強いリーダーのもとで、国家と国民が未来のために、奮闘しない限り、どんな手段も一時的な解決策に過ぎないであろう。 将来のアジアの経済統合に 与えるEUの教訓 　欧州情勢は、事態の進展によりEUや共通通貨からの脱退、経済地域格差により分断するEU分離論も考えられる。歴史的にも国際制度はこのような繰り返しであったことは明らかである。同様に、世界経済が不況に突入すると、経済や政治の国際ブロック体制が強まり、最悪のシナリオでは戦争が起きる。 　その一方で、東南アジア諸国連合（ASEAN）など、アジア諸国の将来的な、政治同盟、関税同盟からEUのような共通経済圏の形成、そして、最終形である通貨統合もしばしば議論される。しかしながら、現実のアジアは、等しく成長を遂げているとしても、欧州以上に経済・文化的な差異が大きい。それに加えて、自己犠牲による他国や共通の繁栄を正当化できる政治、共通の利害や共通の侵略国から相互に加盟国を守るという、設立の確固たる趣旨がないと難しいだろう。 　世界的な覇権や経済的なパワーが低下しているとはいえ、アジア地域経済統合には大国・アメリカの思惑が作用するだろう。さらに決済通貨をドルベースからアジア統一通貨に変更することについては1997年のアジア危機の教訓やアメリカのアジア政策との適合が不可避であろうことが現実と思われる。 　2012年のリスクとして常に底流をいく欧州財務危機、中東情勢の不安定さや大統領選挙の行方など国際政治の波乱や経済・貿易のブロック化に対してできる限り国益を超えた協調志向が求められ、国家と国民の賢明な対処が望まれよう。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix">
<h5>目前の危機回避議題からずれた<br />
EU首脳会談</h5>
<p><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2012/01/no48_kinyutaron_ph01.jpg" alt="金融多論" title="金融多論" width="260" height="390" class="alignright size-full wp-image-14554" /></p>
<p>　去る2011年12月9日に開催された欧州連合（EU）首脳会談において、資金調達が懸念される債務国に対して国際通貨基金（IMF）経由で2000億ユーロ（約20兆7000億円）の救済資金拠出が決定された。しかし、金融市場のプレーヤーたちが期待したような巨額かつ即効的な資金拠出については決定されなかった。<br />
　この会議は、差し迫る欧州債務問題と金融危機を回避する重要な意味を持ったばかりか、将来のユーロ共通通貨の存続を協議する舞台でもあった。ところが、EUの中で圧倒的な経済力を持つドイツはユーロ共同債創設に反対した。<br />
　同時に、財政政策の統合に連なるフランスのサルコジ大統領が推進した汎欧州金融取引税については、イギリスが拒否権を発動するに至り統一欧州実現に陰影を与えた。そこでは欧州政治が好む予防措置の拡充が議論され、目前の危機に対する認識に欠けた内容と捉えられる。<br />
　すなわち、連鎖する欧州債務危機と今後の金融危機への処方せん箋をめぐり、欧州大陸諸国とイギリスが溝を深めた。ユーロ共通通貨の推進役でヨーロッパ国際政治の盟主であるフランスが、財政の優等生であり、几帳面でお堅いドイツの意向を汲んで条約化を目指した制裁（罰則）付き財政規律案も非ユーロ通貨圏加盟のイギリスに拒否権を発動されるという事態に直面したのだ。</p>
<h5 style="margin-top:25px;">“真面目なキリギリス”<br />
ドイツの憂い</h5>
<p>　今回導入が討議されたユーロ共同債とは、欧州内で実質的に財政が破綻したり、財政赤字が大きく資本市場から資金調達ができない国々に対して、欧州域内の国々が共同で発行する債券である。<br />
　その共同債券や、欧州金融安定基金（EFSF）などを通じての資金調達において、発行体が投資家から容易に調達できるように「AAA」という最上位の格付けを持つドイツの保証が付与され、信用力が強化される予定であった。また、フランスからも最上位格付け国としての保証を付けられるはずだったが、同国国債は他の欧州諸国と共に格下げされ、同時にEFSF債も格下げされた。信用にかかわる問題がこのように浮き彫りとなった。<br />
　万一この債券がデフォルトすれば、保証を付与したドイツは理屈の上で、勤勉なドイツ国民が蓄えた社会保障費を削減してでも、あるいは増税してでも、他の債務者に代わり債務弁済を行わなければならない。南国の太陽の下で、仕事がなく仕方なくチェスに興じる人々や、域内の肥大化した公務員の暮らしを守らねばならない法的な義務が生じるのである。<br />
　従って、ドイツとしてはそうした被救済国の財政規律や財政数値がモニターでき、納得できる水準にない限り、この共同債を発行するという手法には合意できないのは当然だろう。ドイツのメルケル首相は、最近の地方選挙で敗退しており、国内の政治的な基盤は必ずしも強くはない。欧州債務問題の行方が今後のドイツキリスト教民主同盟（CDU）の選挙結果と彼女の2年後の首相選挙に影響を及ぼすだろう。欧州問題の大きなカギを握るドイツの動向は、今年も注目される。</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h5>仏案に対する英国拒否権の発動と<br />
EU離脱の可能性</h5>
<p><span class="lightBox"><a href="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2012/01/no48_kinyutaron_ph02.jpg"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2012/01/no48_kinyutaron_ph02.jpg" alt="欧州・景況感指数（ESI）の推移" title="欧州・景況感指数（ESI）の推移" width="300" class="alignright size-full wp-image-14553" /></a></span></p>
<p>　一方、イギリスは先に述べたように財政規律の条約化に拒否権を発動した。イギリスは、自国の一大産業として、一国で欧州の金融収益のおよそ7割を稼ぎ出すロンドン・シティーに象徴される金融業を持つ。<br />
　言うまでもなく、ロンドンはグローバルな国際銀行、オイルマネー、ヘッジファンドなどから巨額の投資資金を引きつけるアングロサクソンの同胞・米ニューヨークのウォール街に次ぐ市場規模を誇る巨大なマネーセンターである。<br />
　それ故、イギリスの稼ぎ出す金融収益が主たる課税対象となり国際競争力が大きく減じるような欧州統一税にも、財政政策への制限にも賛同できない。財政規律条約の参加条件として、フランスの提案するEUの金融取引税を受け入れないとしたが、これが拒絶された。その報復として、財政規律の条約化に拒否権を発動したわけである。<br />
　すでにイギリスは2011年1月より銀行税を導入している。もっとも、銀行税といっても長期負債にかかる税率が低率で、汎欧州的に課税される金融取引税とは異なる。徴収された税収は所得再配分の形で、自国の貧困層、社会医療、環境関連などに使われるものである。<br />
　このイギリスの銀行税に対して、欧州大陸の提案する金融取引税はより包括的で、金融機関の投機的な行動を抑止する意図を有すると考える。<br />
　加えて、条約化を目指す財政規律は、年率で財政赤字を対GDP比0.5％以内に、政府債務を対GDP比60％以内に抑えるという1999年のユーロ参加基準に基礎をおく厳しいものである。<br />
　これはイギリス人の持つプラグマティズムに照らしても実現性に乏しいものだ。<br />
　首脳会議の勢いの中で、この議題に当初賛成の意向を示したユーロ圏17カ国とその他の6カ国も、各国の議会や国民の承認を得なければならず、2012年3月の条約調印に向けた道のりは楽観できない、と考えられる。財政新条約ドラフト案では、9カ国の批准で発効すると原案には明記されたが、京都議定書のように非参加や脱退（カナダ）のような事態も起こりかねない。<br />
　イギリスは、周知のようにユーロ共通通貨制度にも欧州シェンゲン協定（欧州域内の移動の自由などを認める条約）にも加入しておらず、今回汎欧州金融取引税締結にも不参加。その一方で権利のみを主張することはできないと思われる。<br />
　すでに市場が織り込んだとおり、フランスは格付けが1ランク下げられ「AAA」の最高ランクから「AA＋」となった。これにより今後EFSFの発行に支障をきたす可能性も出てくる。先の首脳会談でサルコジ大統領は、フランスが格下げされるのであれば、財政赤字と低成長のイギリスも格下げされるべきだと報復に出ている。イギリスの世論は、欧州統一懐疑派を中心にフランスにもEUに対しても距離を置く姿勢が強まる。<br />
　イギリスについては、EU離脱論とアメリカとのさらなる関係強化論も出ている。柔軟なビジネス基盤を持つイギリスは、日本を含めた多国籍企業の生産・輸出拠点でもあり、欧州大陸向けは輸出の約40％を占めるといわれている。通貨でもユーロに対して緩やかなるポンド安が輸出企業には理想である。この点でも、イギリスと欧州大陸との安定した関係が望まれよう。</p>
<h5 style="margin-top:25px;">欧州債務危機に有効な解決策は</h5>
<p>　欧州債務危機は、ラガルドIMF総裁によれば、アメリカ、アジアのいかなる国々も影響を回避することはできないと声明を出した。先進国クラブである経済協力開発機構（OECD）も、欧州、アメリカ、日本、中国、アジアの諸国が影響を受け、2012年の経済成長率が低下するとしている。それでは、欧州債務連鎖はどうしたら食い止められるのか。<br />
　3000億ユーロの国債残高を有するギリシャのデフォルトを回避しながら、連鎖を食い止め、銀行を救済し金融システムに影響が及ばぬように市場の投機的な動きをコントロールできれば一番良いだろう。すでに資産家が海外へ資産を移し公務員が国民の40％を超えるギリシャは、海運と観光を除いたらさしたる資源もない。デフォルトしても通貨切り下げによる再スタートの成長の糧が見えにくい。資源と産業に恵まれたブラジルやアルゼンチンのようなデフォルトから這い上がった成長パワーを感じない。<br />
　状況が予想を超え市場が混乱する場合、通貨増刷、欧州中央銀行（ECB）によるさらなる国債買い入れも視野に入ってくるだろう。<br />
　EUの対策として今後、新興国などを巻き込んだ直接投資を呼び込む魅力的な投資インフラの整備、債務国へBRICs諸国など日米以外からの拠出を求めることもあろう。そして選択的なコスト削減、欧州諸国が進めている増税と政治家・公務員の数の見直し、債務国の金融資産、国有財産の処分、ありきたりだが、規制緩和による中長期的な成長で税収を回復、欧州の持つ国家的なブランド力の金融化などが考えられる。しかし、強いリーダーのもとで、国家と国民が未来のために、奮闘しない限り、どんな手段も一時的な解決策に過ぎないであろう。</p>
<h5 style="margin-top:25px;">将来のアジアの経済統合に<br />
与えるEUの教訓</h5>
<p>　欧州情勢は、事態の進展によりEUや共通通貨からの脱退、経済地域格差により分断するEU分離論も考えられる。歴史的にも国際制度はこのような繰り返しであったことは明らかである。同様に、世界経済が不況に突入すると、経済や政治の国際ブロック体制が強まり、最悪のシナリオでは戦争が起きる。<br />
　その一方で、東南アジア諸国連合（ASEAN）など、アジア諸国の将来的な、政治同盟、関税同盟からEUのような共通経済圏の形成、そして、最終形である通貨統合もしばしば議論される。しかしながら、現実のアジアは、等しく成長を遂げているとしても、欧州以上に経済・文化的な差異が大きい。それに加えて、自己犠牲による他国や共通の繁栄を正当化できる政治、共通の利害や共通の侵略国から相互に加盟国を守るという、設立の確固たる趣旨がないと難しいだろう。<br />
　世界的な覇権や経済的なパワーが低下しているとはいえ、アジア地域経済統合には大国・アメリカの思惑が作用するだろう。さらに決済通貨をドルベースからアジア統一通貨に変更することについては1997年のアジア危機の教訓やアメリカのアジア政策との適合が不可避であろうことが現実と思われる。<br />
　2012年のリスクとして常に底流をいく欧州財務危機、中東情勢の不安定さや大統領選挙の行方など国際政治の波乱や経済・貿易のブロック化に対してできる限り国益を超えた協調志向が求められ、国家と国民の賢明な対処が望まれよう。</p>
</div>
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		<title>九平次とイアーゴー ～裏切りに備える～</title>
		<link>http://www.buaiso.net/column/regular/teigen/12323/</link>
		<comments>http://www.buaiso.net/column/regular/teigen/12323/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Nov 2011 03:00:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[提言]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.buaiso.net/?p=12323</guid>
		<description><![CDATA[２人の裏切り 　前回も書いたが大学と大学生は増加の一方だが、文学部は縮小の憂き目を見ている。したがって前述の超有名物語を読んでいない方も多いと思う。しかし、字数の関係でここで紹介するわけにはいかないので、興味のある方は図書館などで読んでみてほしい。 　九平次とイアーゴーの2人は、現代的に見ても大変なワルである。九平次は親友の徳兵衛から借りた金を「借りた覚えはない」と突っぱねて徳兵衛を心中に追いやる。一方、イアーゴーは奸計をもって上司のオセロを裏切る。 　徳兵衛への裏切りは比較的簡単なもので、単なる金銭取引上の問題である。しかしイアーゴーは手が込んでいた。そして徳兵衛と同じくオセロを自殺に追い込むのだが、その前に自分の妻の裏切りによって、悪事は露見してしまう。 “昨日の友は今日の敵” 　ここは文学論を述べるところではない。あくまでも古典から学んでビジネスにどう生かすかを考えるところである。 　この2つのストーリーを大阪の色街の話やキプロスの話にとどめておいたのでは役に立たない。 「裏切りはどこにでもある」ということを学ばなければならないのだ。 　友人関係とか家族関係とかいうことにはとどまらない。企業関係においてもそういうことはしばしば起こる。 　昨今の財閥系企業の他グループとの連携を見れば、それを裏切りと見るかどうかは別としても、既存の枠組みの分解と垣根の低下には目を見張る。 　今まではわが社の優良顧客と信じて疑わなかった企業が突如、ライバル企業に奪われるということなどは日常茶飯事だ。 　重要なのはそういうことに備えて常に神経を張り巡らせていなければならないことであるが、それでは全くもって「守り」にすぎない。そして、裏切りにあっても動じないタフな神経も要求される（オセロはその神経症的性格から敗北するのだ）。 　しかし、守りだけでは企業は成り立たない。サッカーを例に考えてみよう。いくらゴールキーパーが優秀で点を与えることがなくても、攻撃陣が点を稼がなかったら試合に勝つことはできない。 　攻撃も裏返しでターゲットに裏切らせることを考えなくてはならない。 　経済の縮小によりマーケットのパイは当然縮小している。そういう時に「あのプロスペクトはライバル社とガチガチだからなぁ」と慨嘆していたのでは、売り上げは減少する一方である。正面突破、から搦め手からのけん制などを含めていろいろ考えなければならない時代なのだ。 　100％の子会社ならいざ知らず、企業グループという縛りも緩んでいる時代である。 　逆に言えば蟻の一穴でルースな（ゆるい）企業グループの1社を突破すれば他のグループ内企業をも手に入れられる可能性だってあるのだ。 　今や国内にとどまらず国際的にも離合集散が激しい。アメリカとベトナムの海軍が合同演習をやる時代である。そんなことは20年前には考えもつかなかった。 　昨日の敵は今日の友という考えは甘い。昨日の友は今日の敵くらいに考えていないと、いつ足をすくわれるか分からない。 　イアーゴーの奸計は本当に示唆に富んでいる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix">
<div id="attachment_12324" class="wp-caption alignright" style="width: 270px"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/10/no46_teigen_ph01.jpg" alt="ビジネスにおける&quot;裏切り&quot;は日常茶飯事。常に備え、攻守どちらにも利用できるようにしなければならない" title="ビジネスにおける&quot;裏切り&quot;は日常茶飯事。常に備え、攻守どちらにも利用できるようにしなければならない" width="260" height="375" class="size-full wp-image-12324" /><p class="wp-caption-text">ビジネスにおける&quot;裏切り&quot;は日常茶飯事。常に備え、攻守どちらにも利用できるようにしなければならない</p></div><br />
<h4>２人の裏切り</h4>
<p>　前回も書いたが大学と大学生は増加の一方だが、文学部は縮小の憂き目を見ている。したがって前述の超有名物語を読んでいない方も多いと思う。しかし、字数の関係でここで紹介するわけにはいかないので、興味のある方は図書館などで読んでみてほしい。<br />
　九平次とイアーゴーの2人は、現代的に見ても大変なワルである。九平次は親友の徳兵衛から借りた金を「借りた覚えはない」と突っぱねて徳兵衛を心中に追いやる。一方、イアーゴーは奸計をもって上司のオセロを裏切る。<br />
　徳兵衛への裏切りは比較的簡単なもので、単なる金銭取引上の問題である。しかしイアーゴーは手が込んでいた。そして徳兵衛と同じくオセロを自殺に追い込むのだが、その前に自分の妻の裏切りによって、悪事は露見してしまう。</p>
<h4 style="margin-top:35px;">“昨日の友は今日の敵”</h4>
<p>　ここは文学論を述べるところではない。あくまでも古典から学んでビジネスにどう生かすかを考えるところである。<br />
　この2つのストーリーを大阪の色街の話やキプロスの話にとどめておいたのでは役に立たない。<br />
「裏切りはどこにでもある」ということを学ばなければならないのだ。<br />
　友人関係とか家族関係とかいうことにはとどまらない。企業関係においてもそういうことはしばしば起こる。<br />
　昨今の財閥系企業の他グループとの連携を見れば、それを裏切りと見るかどうかは別としても、既存の枠組みの分解と垣根の低下には目を見張る。<br />
　今まではわが社の優良顧客と信じて疑わなかった企業が突如、ライバル企業に奪われるということなどは日常茶飯事だ。<br />
　重要なのはそういうことに備えて常に神経を張り巡らせていなければならないことであるが、それでは全くもって「守り」にすぎない。そして、裏切りにあっても動じないタフな神経も要求される（オセロはその神経症的性格から敗北するのだ）。<br />
　しかし、守りだけでは企業は成り立たない。サッカーを例に考えてみよう。いくらゴールキーパーが優秀で点を与えることがなくても、攻撃陣が点を稼がなかったら試合に勝つことはできない。<br />
　攻撃も裏返しでターゲットに裏切らせることを考えなくてはならない。<br />
　経済の縮小によりマーケットのパイは当然縮小している。そういう時に「あのプロスペクトはライバル社とガチガチだからなぁ」と慨嘆していたのでは、売り上げは減少する一方である。正面突破、から搦め手からのけん制などを含めていろいろ考えなければならない時代なのだ。<br />
　100％の子会社ならいざ知らず、企業グループという縛りも緩んでいる時代である。<br />
　逆に言えば蟻の一穴でルースな（ゆるい）企業グループの1社を突破すれば他のグループ内企業をも手に入れられる可能性だってあるのだ。<br />
　今や国内にとどまらず国際的にも離合集散が激しい。アメリカとベトナムの海軍が合同演習をやる時代である。そんなことは20年前には考えもつかなかった。<br />
　昨日の敵は今日の友という考えは甘い。昨日の友は今日の敵くらいに考えていないと、いつ足をすくわれるか分からない。<br />
　イアーゴーの奸計は本当に示唆に富んでいる。</p>
</div>
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		<item>
		<title>格付け会社とソブリン債務の連鎖的スパイラル</title>
		<link>http://www.buaiso.net/column/regular/kinyu/11989/</link>
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		<pubDate>Sat, 01 Oct 2011 16:45:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.ohata</dc:creator>
				<category><![CDATA[金融多論]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.buaiso.net/?p=11989</guid>
		<description><![CDATA[リーマン危機後の政府債務拡大 　米国の追加的金融緩和策（QE3）が検討されているようだが、金融危機のリスクが一時的に政府サイドに移転しただけで、サブプライム問題は解決していない。米国では、FHFA（米連邦住宅金融局）が米国、欧州、日本の投資銀行を提訴し、巨額の賠償金支払を請求している。サブプライム問題に関連し、不適切なRMBS（住宅ローン債権担保証券）情報を流したというのが訴訟の理由だ。 　米国の3大格付け会社、スタンダード＆プアーズ（S＆P）、ムーディーズ、フィッチも、フレディーやファニーといった米国の公的住宅機関の格付けの妥当性や、サブプライムローンを多数束ねたRMBSに確率論から割り出したデフォルト（倒産）数値をもとに高格付けを付与した案件に対して、司法省から取り調べを受けたり、カルパース（CalPERS：カリフォルニア州職員退職年金基金）との訴訟の対象となっている。 　8月5日には、米国格付け業界で150年以上の歴史を誇るS＆Pが、債務上限法案を瀬戸際でようやく可決したアメリカ政府の長期ソブリン格付けを最上級のAAAからAA＋に1段階（ノッチ）引き下げ（見通しはネガティブ）、短期ソブリン格付けは最上級のA-1＋に据え置いた。 　8月24日には、同じ格付け会社のムーディーズが、多額の財政赤字と過去5年にわたり首相が頻繁に交代し、政治が混迷して財政再建が進まない日本の国債をAa2からAa3に格下げした（見通しは安定的と付加したが）。 　S＆Pによる米国債の格下げは、ニューヨークDJ株式を1日で634ドル押し下げた。アジア太平洋地域のソブリン格付けに直接影響なしと声明を出したものの、その影響はアジア、欧州を含む世界の先進国、新興国の株式市場に負の連鎖をもたらしている。 　興味深いことは、この影響で世界を動き回る投資資金が、金などの商品相場や欧州ゾーンの域外の国債（英国、デンマーク、スウェーデン国債など）に向かったほか、格下げされた米国債や日本国債がその後も買われ、価格が上昇したことである。投資家にとって、格付け会社がこういったアクションを取るであろうことはすでに織り込み済みであり、市場の厚みと流動性の高さから代替すべき債券が他になかったことがその理由として考えられる。同時に今後の潜在的な成長率、期待インフレ率の低下を織り込んだプライシングとなっていると思われる。 　ここで注意すべきことは、大きな格下げが行われた場合、一国や地域のソブリン格付けの問題は他の国々に連鎖するばかりでなく、国債などソブリン債券を大量に保有する民間銀行の支払い能力を危うくし、自己資本を毀損して、銀行の資金調達コストを上げることである。それが、金融・経済活動を停滞させ、さらに税収を減らし政府債務危機を増加させるというスパイラルを招きかねないのである。 　また、国の格付けの変動は、その国の政府系機関、企業、地方自治体などの信用格付けの上限にも影響を及ぼす。ムーディーズは日本の格下げに伴い、日本の12の地方公共団体の格付けを下げている。 　日本の代表的な格付け会社である格付け投資情報センター（R＆I）も、日本ソブリンについて、野田新政権の財政運営姿勢を見極め、年内の格付け見直しを表明していることも付け加えておきたい。 ソブリン・デットの格付け 　こうした格付けは、発行体格付けと、それをベースにした個別債務格付けに分類される。さらに、発行体に依頼された格付けと格付け会社が投資家のために勝手に格付けするものがある。長期の債務の格付けでは債務不履行に陥る可能性（デフォルトリスク）の分析、債務不履行時点の損失の可能性（回収リスク）の判断を、その評価に織り込む。短期格付けでは主にデフォルトリスクの判断が焦点となる。 　国を格付けするために評価するポイントは、国の財務状況、債務など構造問題に取り組む政策の質と実行力、そして、国の資金調達能力である。 　格付け会社が行う一般的な格付けのプロセスの例は下図のような内容である。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix">
<h4>リーマン危機後の政府債務拡大</h4>
<p>
　米国の追加的金融緩和策（QE3）が検討されているようだが、金融危機のリスクが一時的に政府サイドに移転しただけで、サブプライム問題は解決していない。米国では、FHFA（米連邦住宅金融局）が米国、欧州、日本の投資銀行を提訴し、巨額の賠償金支払を請求している。サブプライム問題に関連し、不適切なRMBS（住宅ローン債権担保証券）情報を流したというのが訴訟の理由だ。<br />
　米国の3大格付け会社、スタンダード＆プアーズ（S＆P）、ムーディーズ、フィッチも、フレディーやファニーといった米国の公的住宅機関の格付けの妥当性や、サブプライムローンを多数束ねたRMBSに確率論から割り出したデフォルト（倒産）数値をもとに高格付けを付与した案件に対して、司法省から取り調べを受けたり、カルパース（CalPERS：カリフォルニア州職員退職年金基金）との訴訟の対象となっている。<br />
　8月5日には、米国格付け業界で150年以上の歴史を誇るS＆Pが、債務上限法案を瀬戸際でようやく可決したアメリカ政府の長期ソブリン格付けを最上級のAAAからAA＋に1段階（ノッチ）引き下げ（見通しはネガティブ）、短期ソブリン格付けは最上級のA-1＋に据え置いた。
</p>
</div>
<p><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/10/kinyu_46_hyou_1.jpg" alt="" title="" width="600" height="417" class="aligncenter size-full wp-image-11990" /></p>
<div class="kiji clearfix">
<p>　8月24日には、同じ格付け会社のムーディーズが、多額の財政赤字と過去5年にわたり首相が頻繁に交代し、政治が混迷して財政再建が進まない日本の国債をAa2からAa3に格下げした（見通しは安定的と付加したが）。<br />
　S＆Pによる米国債の格下げは、ニューヨークDJ株式を1日で634ドル押し下げた。アジア太平洋地域のソブリン格付けに直接影響なしと声明を出したものの、その影響はアジア、欧州を含む世界の先進国、新興国の株式市場に負の連鎖をもたらしている。<br />
　興味深いことは、この影響で世界を動き回る投資資金が、金などの商品相場や欧州ゾーンの域外の国債（英国、デンマーク、スウェーデン国債など）に向かったほか、格下げされた米国債や日本国債がその後も買われ、価格が上昇したことである。投資家にとって、格付け会社がこういったアクションを取るであろうことはすでに織り込み済みであり、市場の厚みと流動性の高さから代替すべき債券が他になかったことがその理由として考えられる。同時に今後の潜在的な成長率、期待インフレ率の低下を織り込んだプライシングとなっていると思われる。<br />
　ここで注意すべきことは、大きな格下げが行われた場合、一国や地域のソブリン格付けの問題は他の国々に連鎖するばかりでなく、国債などソブリン債券を大量に保有する民間銀行の支払い能力を危うくし、自己資本を毀損して、銀行の資金調達コストを上げることである。それが、金融・経済活動を停滞させ、さらに税収を減らし政府債務危機を増加させるというスパイラルを招きかねないのである。<br />
　また、国の格付けの変動は、その国の政府系機関、企業、地方自治体などの信用格付けの上限にも影響を及ぼす。ムーディーズは日本の格下げに伴い、日本の12の地方公共団体の格付けを下げている。<br />
　日本の代表的な格付け会社である格付け投資情報センター（R＆I）も、日本ソブリンについて、野田新政権の財政運営姿勢を見極め、年内の格付け見直しを表明していることも付け加えておきたい。
</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h4>ソブリン・デットの格付け</h4>
<p>
　こうした格付けは、発行体格付けと、それをベースにした個別債務格付けに分類される。さらに、発行体に依頼された格付けと格付け会社が投資家のために勝手に格付けするものがある。長期の債務の格付けでは債務不履行に陥る可能性（デフォルトリスク）の分析、債務不履行時点の損失の可能性（回収リスク）の判断を、その評価に織り込む。短期格付けでは主にデフォルトリスクの判断が焦点となる。<br />
　国を格付けするために評価するポイントは、国の財務状況、債務など構造問題に取り組む政策の質と実行力、そして、国の資金調達能力である。<br />
　格付け会社が行う一般的な格付けのプロセスの例は下図のような内容である。
</p>
</div>
<p><a href="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/10/kinyu_46_hyou2.jpg"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/10/kinyu_46_hyou2.jpg" alt="" title="" width="600" height="267" class="aligncenter size-full wp-image-11995" /></a></p>
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		<title>利部志穂</title>
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		<pubDate>Tue, 19 Jul 2011 03:00:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[アートラウンジ]]></category>

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		<description><![CDATA[記憶がしみついて、なかなか捨てられない物や、街で拾い集められたさまざまな廃材を加工し、改めて接続する手法で作品を制作しています。この作品では、蚊帳を変形させたものや、電球なしのランプシェード、飾り照明のLEDライトなど、大量生産の製品と、拾ってきた鳩の羽や植物を組み合わせています。その他、径が少しずつ違う鉄パイプを突っ張り棒のように部屋を横断させたり、壁に空いた穴の周りをマジックで丸で囲み「まあまあまあ・・」と小さく文字が書かれていたり。 人の生活において不要となった「ゴミ」を概念的にも物理的にも関係させ、接続させていきます。物の立たせ方から、人間としての「立ち方」を学び、人はいかに事物とつながり、その流れの中でどう横たわるべきかを私自身、一生を通して問い続けていきたいのです。（利部志穂） 1981年生まれの利部。「私にできるのは、依頼された場所で、その人だけの特別な視界を創り、確保すること。原っぱでも、個人住宅の椅子の裏でも、お盆の上でも、どこでも誰でも、芸術は持つことができるものなのです」。 インテリアショップのディスプレーであれば、商品がよく見えるように配置するが、利部は無目的に独自の方法で、物を配置していく。頼りになるのは「こっちにあるより、そっちにあった方がいいな」という身体感覚と、物の構造。ものへの固定概念や先入観が外れ、新しい見方が湧く瞬間をそのまま保存している感覚だ。「自分が作っているという意識はあまりなくて、タイミングをうかがっている感じです。物に触れてパイプがたまたま倒れ、その方が良いなとか。プラン通りに実行するだけだと、自分の考えの及ぶ範囲を抜け出していけませんから」（作家談）（渡辺麻実）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_9921" class="wp-caption aligncenter" style="width: 490px"><img class="size-full wp-image-9921" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/07/no45_artlounge_main.jpg" alt="" width="480" height="360" /><p class="wp-caption-text">利部志穂　Shiho Kagabu ｢IKEART｣　resizable（5290×3360×3660mm内）　2011年 SOLIG、GLANSA、LAGRA、拾ってきたモノ、羽、砂漠の植物、DVD ほか ￥230,000＋消費税、DVD ￥10,000（edition free） Photo by Hayato Wakabayashi</p></div>
<div class="kiji clearfix"><img class="size-full wp-image-1037 alignleft" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2010/09/icon1.gif" alt="プロの眼" width="60" height="60" /></p>
<p>記憶がしみついて、なかなか捨てられない物や、街で拾い集められたさまざまな廃材を加工し、改めて接続する手法で作品を制作しています。この作品では、蚊帳を変形させたものや、電球なしのランプシェード、飾り照明のLEDライトなど、大量生産の製品と、拾ってきた鳩の羽や植物を組み合わせています。その他、径が少しずつ違う鉄パイプを突っ張り棒のように部屋を横断させたり、壁に空いた穴の周りをマジックで丸で囲み「まあまあまあ・・」と小さく文字が書かれていたり。<br />
人の生活において不要となった「ゴミ」を概念的にも物理的にも関係させ、接続させていきます。物の立たせ方から、人間としての「立ち方」を学び、人はいかに事物とつながり、その流れの中でどう横たわるべきかを私自身、一生を通して問い続けていきたいのです。（利部志穂）</p>
</div>
<div class="kiji clearfix"><img class="alignleft size-full wp-image-1038" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2010/09/icon2.gif" alt="" width="60" height="60" /></p>
<p>1981年生まれの利部。「私にできるのは、依頼された場所で、その人だけの特別な視界を創り、確保すること。原っぱでも、個人住宅の椅子の裏でも、お盆の上でも、どこでも誰でも、芸術は持つことができるものなのです」。<br />
インテリアショップのディスプレーであれば、商品がよく見えるように配置するが、利部は無目的に独自の方法で、物を配置していく。頼りになるのは「こっちにあるより、そっちにあった方がいいな」という身体感覚と、物の構造。ものへの固定概念や先入観が外れ、新しい見方が湧く瞬間をそのまま保存している感覚だ。「自分が作っているという意識はあまりなくて、タイミングをうかがっている感じです。物に触れてパイプがたまたま倒れ、その方が良いなとか。プラン通りに実行するだけだと、自分の考えの及ぶ範囲を抜け出していけませんから」（作家談）（渡辺麻実）</p>
</div>
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		<item>
		<title>米国債、ギリシャ問題と国際金融・政治経済への影響</title>
		<link>http://www.buaiso.net/column/regular/kinyu/11966/</link>
		<comments>http://www.buaiso.net/column/regular/kinyu/11966/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 12 Jul 2011 03:00:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.ohata</dc:creator>
				<category><![CDATA[金融多論]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.buaiso.net/column/regular/kinyu/11966/</guid>
		<description><![CDATA[米国債投資と外貨準備 　米連邦準備制度理事会（FRB）は、金融危機とそれによる景気減速からの脱却を図るために、米政府の公的支出の拡大を金融の量的緩和という形で支援してきた。今年後半には、償還期限を迎える長期債券の再投資政策を停止し、買い入れた米国債、MBS（住宅ローン担保債券）などで膨らんだ中央銀行のバランスシートをダウンサイズしていく方針だ。 　米国は、国家予算の財政ファイナンスとして、税収の他、米国債を発行して、経済政策、社会政策を実行している。財政規律と公的債務削減が課題である日本では、東日本大震災を契機にその復興財源として、政府が運用する約90兆円ある外貨準備を取り崩したらどうかという議論が聞かれる。外貨準備の主たる運用先は、米国債である。 　すなわち、日本政府が政府短期証券で調達した資金はドルに換えられ、財務省を経由してドル建て資産などに投資される。このドル買いが為替市場の介入である。また、その外貨準備のおよそ70％が米国債に投資されている現状である。 　そこで、復興資金としての円を得るために、外貨準備として保有する米国債を売ることでどのような影響が考えられるか。米国債の処分による世界金融市場への影響、為替レート（ドル売り・円買い）の円高要因、債務削減効果の検証（外貨準備リファイナンス構造）、経済活動への影響や国際政治経済的な問題を調べてみる必要がある。 米国債投資のロジック 　米国債に投資することは、純粋な金融経済行動に留まらない点に注意が必要である。単にリスクが低く、AAA（2011年6月現在）の安全な資産クラスで、日本国債よりも利回りが高い外債であるから投資しているのではない、ということだ。そこには、日本の果たす義務、ドルという基軸通貨の安定性とグローバルな不均衡を是正するという特別な政治的な背景が存在するように思われる。 　米国債は、言うまでもなく、米国財政政策および金融政策の要であり、政府が調達した資金は米国民の福祉や教育を支える。そればかりか、世界のどこかの国の地域秩序が独裁国家の横暴により危機的な状況にある時、世界の警察として活動する費用をファイナンスする財布でもある。 安全保障という公共財の供給 　こうした公共財の提供は、簡単に米国の国益だけの問題では片付けられない、と思われる。空気のように当然と思われる日本やアジアの平和は、曲がりなりにも静かなパワーの釣り合いがあるからだ、と考えられないだろうか。 　中東、北アフリカの不安定な状況、新興諸国や中国の台頭で軍事的な懸念があり、その安全保障の担保を米国に求める国際機関や国々があることも事実である。また、テロリズムやアフリカの沿岸での日本商船に対する略奪行為に、果敢な攻撃を行使できるのは日本自身だろうか。 　もちろん、わが国には表舞台には現れないが、憲法の制約の中で日本のために精一杯職務を行う自衛隊がある。その一方で、国際的な枠組みや法的な制限を超えて行動する米国のパワーにも、その賛否の議論は分かれる。この米国のパワーは現状の国際政治に必要である。この点だけを見ても他国にはない強みがあり、ますます米国への要請が高まっているように見える。 　現在、米国債に投資するのは、米国の国際政治上の同盟国である日本に限らず、貿易黒字を背景に巨額の外貨準備を積み上げる中国などである。9兆ドルの米財務省の米国債の保有残高を見ると、外国勢が約4.5兆ドルを占め、そのうち中国が約1兆1400億ドル、日本が9000億ドル保有する。投資は米国短期債券が中心である。 　米国は自国の財政を賄い、世界的な公共財の提供財源として、世界中から投資マネーを引き付けねばならない。そのために、金利を高めに誘導するが、金融危機後、金融緩和を継続せねば立ち行かない場合には、同盟国に対して金利を低めに誘導することを望む、すなわち、金利差を幾分なりとも維持しようとする。 　今回のリーマン危機では、世界の国々が国債を増発した。政府の資本注入でいずれ景気が回復すれば、税収増で国債の利払いができると考えたからだ。しかし、米国をはじめとした国々の住宅市場も労働市場も、株価や商品市場の活発な動きとは別に、なかなか回復の兆しが見えてこない。住宅着工件数など住宅指標は低迷し、失業率も9.1％に上昇している。差し押さえ物件が増える住宅市場には、政府の舵取り次第では二番底懸念も出ている。また、雇用の減少は米国の成長を牽引する個人消費にも影響を与える。 　さらに、米国はすでに発表されているように、5年以内に輸出を倍増する計画を持っている。これは、輸出産業の競争力を高めること、海外市場を開拓することというポジティブな側面と、為替政策（ドル安）、保護主義政策を強化するという反対の側面もある。 　円高が進行すると米国債の売りにつながり、米国金利は上昇する。人民元も上昇しているが、米国債の売り圧力など、中国の外交的対抗策も考えられる。極端なドル安もドル高も、金融当局や市場は避けたいところであろう。 　この米国債を取り巻く現在の市場構造が崩壊したら、日本経済は言うに及ばず、世界経済にもネガティブな影響をもたらす。上述の安全保障などグローバルな公共財の提供が停止するのは、カリフォルニア州の財政が悪化して治安が悪くなることに似ているかもしれない。 　このメカニズムの詳細は別の機会に述べるとしても、外債のポートフォリオき毀損で邦銀にも損害が及び、急激なドル安・円高の訪れは日本の代表的な輸出企業の利益を吹き飛ばす。 　銀行が傷んでくると、あるいは、破綻すると、国際決済銀行（BIS）の自己資本率維持の規律もあり、貸し渋りが起き、中小企業など実体経済に影響が及んでくることも推察できる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix"><div id="attachment_9487" class="wp-caption alignright" style="width: 270px"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/07/no45_kinyu_ph01.jpg" alt="世界の国々と密接に関わるアメリカ。その影響力は計り知れない" title="世界の国々と密接に関わるアメリカ。その影響力は計り知れない" width="260" height="180" class="size-full wp-image-9487" /><p class="wp-caption-text">世界の国々と密接に関わるアメリカ。その影響力は計り知れない</p></div></p>
<h4>米国債投資と外貨準備</h4>
<p>　米連邦準備制度理事会（FRB）は、金融危機とそれによる景気減速からの脱却を図るために、米政府の公的支出の拡大を金融の量的緩和という形で支援してきた。今年後半には、償還期限を迎える長期債券の再投資政策を停止し、買い入れた米国債、MBS（住宅ローン担保債券）などで膨らんだ中央銀行のバランスシートをダウンサイズしていく方針だ。<br />
　米国は、国家予算の財政ファイナンスとして、税収の他、米国債を発行して、経済政策、社会政策を実行している。財政規律と公的債務削減が課題である日本では、東日本大震災を契機にその復興財源として、政府が運用する約90兆円ある外貨準備を取り崩したらどうかという議論が聞かれる。外貨準備の主たる運用先は、米国債である。<br />
　すなわち、日本政府が政府短期証券で調達した資金はドルに換えられ、財務省を経由してドル建て資産などに投資される。このドル買いが為替市場の介入である。また、その外貨準備のおよそ70％が米国債に投資されている現状である。<br />
　そこで、復興資金としての円を得るために、外貨準備として保有する米国債を売ることでどのような影響が考えられるか。米国債の処分による世界金融市場への影響、為替レート（ドル売り・円買い）の円高要因、債務削減効果の検証（外貨準備リファイナンス構造）、経済活動への影響や国際政治経済的な問題を調べてみる必要がある。</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h4>米国債投資のロジック</h4>
<p>　米国債に投資することは、純粋な金融経済行動に留まらない点に注意が必要である。単にリスクが低く、AAA（2011年6月現在）の安全な資産クラスで、日本国債よりも利回りが高い外債であるから投資しているのではない、ということだ。そこには、日本の果たす義務、ドルという基軸通貨の安定性とグローバルな不均衡を是正するという特別な政治的な背景が存在するように思われる。<br />
　米国債は、言うまでもなく、米国財政政策および金融政策の要であり、政府が調達した資金は米国民の福祉や教育を支える。そればかりか、世界のどこかの国の地域秩序が独裁国家の横暴により危機的な状況にある時、世界の警察として活動する費用をファイナンスする財布でもある。</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h4>安全保障という公共財の供給</h4>
<p>　こうした公共財の提供は、簡単に米国の国益だけの問題では片付けられない、と思われる。空気のように当然と思われる日本やアジアの平和は、曲がりなりにも静かなパワーの釣り合いがあるからだ、と考えられないだろうか。<br />
　中東、北アフリカの不安定な状況、新興諸国や中国の台頭で軍事的な懸念があり、その安全保障の担保を米国に求める国際機関や国々があることも事実である。また、テロリズムやアフリカの沿岸での日本商船に対する略奪行為に、果敢な攻撃を行使できるのは日本自身だろうか。<br />
　もちろん、わが国には表舞台には現れないが、憲法の制約の中で日本のために精一杯職務を行う自衛隊がある。その一方で、国際的な枠組みや法的な制限を超えて行動する米国のパワーにも、その賛否の議論は分かれる。この米国のパワーは現状の国際政治に必要である。この点だけを見ても他国にはない強みがあり、ますます米国への要請が高まっているように見える。<br />
　現在、米国債に投資するのは、米国の国際政治上の同盟国である日本に限らず、貿易黒字を背景に巨額の外貨準備を積み上げる中国などである。9兆ドルの米財務省の米国債の保有残高を見ると、外国勢が約4.5兆ドルを占め、そのうち中国が約1兆1400億ドル、日本が9000億ドル保有する。投資は米国短期債券が中心である。<br />
　米国は自国の財政を賄い、世界的な公共財の提供財源として、世界中から投資マネーを引き付けねばならない。そのために、金利を高めに誘導するが、金融危機後、金融緩和を継続せねば立ち行かない場合には、同盟国に対して金利を低めに誘導することを望む、すなわち、金利差を幾分なりとも維持しようとする。<br />
　今回のリーマン危機では、世界の国々が国債を増発した。政府の資本注入でいずれ景気が回復すれば、税収増で国債の利払いができると考えたからだ。しかし、米国をはじめとした国々の住宅市場も労働市場も、株価や商品市場の活発な動きとは別に、なかなか回復の兆しが見えてこない。住宅着工件数など住宅指標は低迷し、失業率も9.1％に上昇している。差し押さえ物件が増える住宅市場には、政府の舵取り次第では二番底懸念も出ている。また、雇用の減少は米国の成長を牽引する個人消費にも影響を与える。<br />
　さらに、米国はすでに発表されているように、5年以内に輸出を倍増する計画を持っている。これは、輸出産業の競争力を高めること、海外市場を開拓することというポジティブな側面と、為替政策（ドル安）、保護主義政策を強化するという反対の側面もある。<br />
　円高が進行すると米国債の売りにつながり、米国金利は上昇する。人民元も上昇しているが、米国債の売り圧力など、中国の外交的対抗策も考えられる。極端なドル安もドル高も、金融当局や市場は避けたいところであろう。<br />
　この米国債を取り巻く現在の市場構造が崩壊したら、日本経済は言うに及ばず、世界経済にもネガティブな影響をもたらす。上述の安全保障などグローバルな公共財の提供が停止するのは、カリフォルニア州の財政が悪化して治安が悪くなることに似ているかもしれない。<br />
　このメカニズムの詳細は別の機会に述べるとしても、外債のポートフォリオき毀損で邦銀にも損害が及び、急激なドル安・円高の訪れは日本の代表的な輸出企業の利益を吹き飛ばす。<br />
　銀行が傷んでくると、あるいは、破綻すると、国際決済銀行（BIS）の自己資本率維持の規律もあり、貸し渋りが起き、中小企業など実体経済に影響が及んでくることも推察できる。</p>
</div>
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		<title>自由研究　子どもの夏休みの過ごし方</title>
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		<pubDate>Mon, 11 Jul 2011 03:00:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[少子化時代の子どもビジネス]]></category>
		<category><![CDATA[教育]]></category>

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		<description><![CDATA[いよいよ夏休みがやってくる。 BUAISO世代としては、子どもにどのような夏休みを過ごさせるかが課題だ。 　国境なき世界が予想される将来を子どもたちは生きる。社会の変化に対応して活躍する力を身に付けさせるために、今必要なことはなんだろう。子どもがいる人もいない人も親世代として考えたいBUAISOの自由研究だ。 　Benesse教育研究開発センターが2007年に小学5年生、中学2年生を対象に行った調査によると、平日の家庭学習時間の平均は、小学生が81.5分、中学生が87.0分だ。また同センターが2006年に行った世界6都市の小学生の学習時間調査によると、東京の小学生は「およそ30分」「1時間」がそれぞれ2割を占め、次に多い「3時間30分以上」が13％を占める。二極分化は、調査が行われた他都市（ソウル、北京、ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDC）と比べて特異な状況だ。 　激化する中学受験による影響も大きい。朝日大学マーケティング研究所が小学3～6年生を対象に2010年に行った調査によると、中学受験を予定する子どもの春休みの自宅学習時間は平均2時間半で、受験予定がない、あるいは未定の子どもの4倍以上に上った。 　遊ぶ時間について学研教育総合研究所が小学生を対象に行った調査では、最も多い回答が「1時間～2時間未満」である。遊びの内容についての学年別調査では、3～4年生を境にゲームが急激に増え、集団での遊びが減っている。 「小学生においても塾や自宅での勉強、けいこごとに要する時間が多くなり、また、そのため各々の子どもの遊び時間が食い違うため、子どもたちは遊び仲間を得にくくなっている」「急激な都市化は、十分な都市公園などのオープンスペースの整備を伴わないままに空き地や原っぱなどの子どもの遊び場をつぶし、また、自動車の増加は、それまで子どもたちにとって格好の遊び場であった道路を危険なものにしてしまった」。これらはいずれも厚生白書（昭和54年版）の記述だ。BUAISO世代がまさに小学生か、あるいは生まれる前の事象である。 　時代は変化し、子どもたちはさらに多くの「やるべきこと」に囲まれている。夏休みだからこそ、勉強を忘れて思い切り遊ばせるか、受験勉強に邁進させるか、家族でバカンスを楽しむか……。選択肢は多い。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="sono1" class="kiji clearfix" style="margin-top:25px;">
<p style="font-weight:bold; color:#1B91A1; margin-bottom:15px;">いよいよ夏休みがやってくる。<br />
BUAISO世代としては、子どもにどのような夏休みを過ごさせるかが課題だ。</p>
<p>　国境なき世界が予想される将来を子どもたちは生きる。社会の変化に対応して活躍する力を身に付けさせるために、今必要なことはなんだろう。子どもがいる人もいない人も親世代として考えたいBUAISOの自由研究だ。<br />
　Benesse教育研究開発センターが2007年に小学5年生、中学2年生を対象に行った調査によると、平日の家庭学習時間の平均は、小学生が81.5分、中学生が87.0分だ。また同センターが2006年に行った世界6都市の小学生の学習時間調査によると、東京の小学生は「およそ30分」「1時間」がそれぞれ2割を占め、次に多い「3時間30分以上」が13％を占める。二極分化は、調査が行われた他都市（ソウル、北京、ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDC）と比べて特異な状況だ。<br />
　激化する中学受験による影響も大きい。朝日大学マーケティング研究所が小学3～6年生を対象に2010年に行った調査によると、中学受験を予定する子どもの春休みの自宅学習時間は平均2時間半で、受験予定がない、あるいは未定の子どもの4倍以上に上った。<br />
　遊ぶ時間について学研教育総合研究所が小学生を対象に行った調査では、最も多い回答が「1時間～2時間未満」である。遊びの内容についての学年別調査では、3～4年生を境にゲームが急激に増え、集団での遊びが減っている。<br />
「小学生においても塾や自宅での勉強、けいこごとに要する時間が多くなり、また、そのため各々の子どもの遊び時間が食い違うため、子どもたちは遊び仲間を得にくくなっている」「急激な都市化は、十分な都市公園などのオープンスペースの整備を伴わないままに空き地や原っぱなどの子どもの遊び場をつぶし、また、自動車の増加は、それまで子どもたちにとって格好の遊び場であった道路を危険なものにしてしまった」。これらはいずれも厚生白書（昭和54年版）の記述だ。BUAISO世代がまさに小学生か、あるいは生まれる前の事象である。<br />
　時代は変化し、子どもたちはさらに多くの「やるべきこと」に囲まれている。夏休みだからこそ、勉強を忘れて思い切り遊ばせるか、受験勉強に邁進させるか、家族でバカンスを楽しむか……。選択肢は多い。</p>
</div>
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		<title>『人間不平等起源論』とニッチ・マーケット</title>
		<link>http://www.buaiso.net/column/regular/teigen/9491/</link>
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		<pubDate>Mon, 11 Jul 2011 03:00:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[提言]]></category>

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		<description><![CDATA[「この土地は俺のものだ」 　先日ある大手の古書店のトップと話をする機会があった。彼が言うには今、大学も生徒も増えてはいるが、文学部は縮小傾向が強いとのことであった。英文学専攻の筆者には悲しいことだが、現実は受け入れざるを得ない。そういえば書店へ行っても、昔ながらの文学書や哲学書は隅に追いやられている。 　昔の語学教育は「読み書き」が主体であった。西欧の哲人たちの思想を取り込むことが目的であったからだ。ところが日本が先進国になると、「別に何世紀も前の欧州の哲学者が書いたものなんか読まなくても、会話ができて商売ができればそれでよい」という風潮になってきた。文学部の影が薄くなり、会話学校が栄えるのもそのためだ。 　だがそうは言っても面白いものは面白い。 　ジャン＝ジャック・ルソーというスイス生まれの哲学者がいた。人間としてはかなりみだらな男ではあったが、その著作物はフランス革命をはじめとして大きな影響を社会に与えた。その中で私が面白いと思うのは『人間不平等起源論』である。 　中身はほとんど忘れているのだが、冒頭の「文明社会を誰が創設したか」の文章は強烈であった。要するに、「ある土地を囲んで、他のやつらがボヤボヤしている間に『この土地は俺のものだ』と宣言することに気が付いた人間が文明社会の本当の創設者だ」というのである。 　これをフランス語で読まされたのは高校生の頃であった。最初は何を言っているのかよく分からなかったが、会社へ入っていろいろ新しいことを手掛けるようになるとジワジワとその意味が分かってきた。 スピードこそ命 　日本では「王道」と「脇道」はかなりはっきりと区別されている。例えば「乗用車を造る」ことを「王道」とすれば、「福祉車両を造る」ことは「王道あっての脇道」と考えられる。 　以前「上流を目指そう」という項でも書いたが、脇道から王道へのし上がるのは不可能とは言えないまでも極度に難しい。ところが、この脇道もマーケティング用語でいう「ニッチ・マーケット」として確立するとバカにできない収益を上げることができる。 　問題は市場における「ニッチ」（niche）をいかに見つけるかということと、それをいかにマーケットに認識させるかということだ。 　ニッチを見つけることは容易ではない。多分見つけようと思って見つかるものではなく、何らかのニーズとか偶然によることになるだろう。そして、それをマーケットに認識させることは表現の問題になってくる。伝達するためのメディアを含めてのことである。 　肝心なのは「スピード」である。 　ルソーの文章には「他のやつらがボヤボヤしている間に」とある。他の人間が同じことを考えついた時にはもう遅い。これはまさに「何事もスピーディーに運ばなければ他の連中に気付かれてしまうよ」という警告でもあると筆者は解釈している。 　とにかく「ドッグイヤー」といわれる現在、スピードこそが命なのだ。ほら、リンダも歌っているでしょう。「ぼやぼやしてたら私は誰かのいい子になっちゃうよ」って。 　ニッチを見つけたら「自分のいい子」にしなければ意味がないのである。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix"><div id="attachment_9492" class="wp-caption alignright" style="width: 270px"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/07/no45_teigen_ph01.jpg" alt="せっかくニッチな市場を見つけても、スピーディーに事を進めなければ他の連中に気付かれてしまう" title="せっかくニッチな市場を見つけても、スピーディーに事を進めなければ他の連中に気付かれてしまう" width="260" height="180" class="size-full wp-image-9492" /><p class="wp-caption-text">せっかくニッチな市場を見つけても、スピーディーに事を進めなければ他の連中に気付かれてしまう</p></div></p>
<h4>「この土地は俺のものだ」</h4>
<p>　先日ある大手の古書店のトップと話をする機会があった。彼が言うには今、大学も生徒も増えてはいるが、文学部は縮小傾向が強いとのことであった。英文学専攻の筆者には悲しいことだが、現実は受け入れざるを得ない。そういえば書店へ行っても、昔ながらの文学書や哲学書は隅に追いやられている。<br />
　昔の語学教育は「読み書き」が主体であった。西欧の哲人たちの思想を取り込むことが目的であったからだ。ところが日本が先進国になると、「別に何世紀も前の欧州の哲学者が書いたものなんか読まなくても、会話ができて商売ができればそれでよい」という風潮になってきた。文学部の影が薄くなり、会話学校が栄えるのもそのためだ。<br />
　だがそうは言っても面白いものは面白い。<br />
　ジャン＝ジャック・ルソーというスイス生まれの哲学者がいた。人間としてはかなりみだらな男ではあったが、その著作物はフランス革命をはじめとして大きな影響を社会に与えた。その中で私が面白いと思うのは『人間不平等起源論』である。<br />
　中身はほとんど忘れているのだが、冒頭の「文明社会を誰が創設したか」の文章は強烈であった。要するに、「ある土地を囲んで、他のやつらがボヤボヤしている間に『この土地は俺のものだ』と宣言することに気が付いた人間が文明社会の本当の創設者だ」というのである。<br />
　これをフランス語で読まされたのは高校生の頃であった。最初は何を言っているのかよく分からなかったが、会社へ入っていろいろ新しいことを手掛けるようになるとジワジワとその意味が分かってきた。</p>
</div>
<div class="kiji clearfix">
<h4>スピードこそ命</h4>
<p>　日本では「王道」と「脇道」はかなりはっきりと区別されている。例えば「乗用車を造る」ことを「王道」とすれば、「福祉車両を造る」ことは「王道あっての脇道」と考えられる。<br />
　以前「上流を目指そう」という項でも書いたが、脇道から王道へのし上がるのは不可能とは言えないまでも極度に難しい。ところが、この脇道もマーケティング用語でいう「ニッチ・マーケット」として確立するとバカにできない収益を上げることができる。<br />
　問題は市場における「ニッチ」（niche）をいかに見つけるかということと、それをいかにマーケットに認識させるかということだ。<br />
　ニッチを見つけることは容易ではない。多分見つけようと思って見つかるものではなく、何らかのニーズとか偶然によることになるだろう。そして、それをマーケットに認識させることは表現の問題になってくる。伝達するためのメディアを含めてのことである。<br />
　肝心なのは「スピード」である。<br />
　ルソーの文章には「他のやつらがボヤボヤしている間に」とある。他の人間が同じことを考えついた時にはもう遅い。これはまさに「何事もスピーディーに運ばなければ他の連中に気付かれてしまうよ」という警告でもあると筆者は解釈している。<br />
　とにかく「ドッグイヤー」といわれる現在、スピードこそが命なのだ。ほら、リンダも歌っているでしょう。「ぼやぼやしてたら私は誰かのいい子になっちゃうよ」って。<br />
　ニッチを見つけたら「自分のいい子」にしなければ意味がないのである。</p>
</div>
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		<title>キッズデザインの家づくり</title>
		<link>http://www.buaiso.net/business/education/8743/</link>
		<comments>http://www.buaiso.net/business/education/8743/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 25 May 2011 03:00:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[少子化時代の子どもビジネス]]></category>
		<category><![CDATA[教育]]></category>

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		<description><![CDATA[就職後や成人後にその人の育てられ方が取り沙汰され、さまざまな子育て論が展開されている昨今。 親にとっては“子育ての場”、子どもにとっては“自分をつくっていく場”である“家”が今回のテーマ。 “子どもにとっていい家とはどんな家か？” 子ども目線の家づくりで「キッズデザイン賞」を3年連続受賞しているLIXIL住宅研究所キッズデザイン研究所所長の高橋司郎氏と、「お手伝い至上主義」で独自の子育て論を実践している金沢工業大学教授の三谷宏治氏に語り合ってもらった。 今日は、子育てしやすい家づくりについて一緒に考えていきたいと思います。まず、そもそも「キッズデザイン」とはどのような設計思想なのでしょうか。 「キッズデザイン」とはひとことで言えば、“こどもにやさしい”は“みんなにやさしい”ということです。例えば、よく知られている「バリアフリー」は、家の中で、お年寄りや身体の不自由な方たちが不便を感じる段差や、回しにくい把手のような障害を取り除こうとする考え方です。そこから一歩進み、すべての方にとって暮らしやすい環境をつくろうとする考え方が「ユニバーサルデザイン」と呼ばれるものですが、それでもまだ、子どもの立場で考えるとさまざまな工夫が必要です。子どもの視野は大人の3分の2程度と言われています。例えば6歳児の場合、垂直方向の視野は大人の約120度に対して約70度、水平方向は大人が約150度あるのに対して約90度しかありません。だから、子どもの目線・子どもの基準で暮らしやすさを考えよう。それが「キッズデザイン」の考え方です。 日本は諸外国に比べて、家庭内での子どもの事故が多いようですね。 厚生労働省の平成20年度人口動態調査によると、1歳から4歳児の不慮の事故は、50.3％が家庭内で起きています。そこで私たちは、子どもの目線で家の中の危険を見つめ直しました。例えば、指を挟みにくいようゆっくり閉まる機能を室内建具に付ける、小さな子どもの浴槽への転落を抑止するため、脱衣室とトイレの扉にチャイルドロックを設置するなどです。 私もそうした類いのけがはしてほしくないと思っていますが、他方で、子どもを危険から遠ざけてしまうのも良くないと考えています。例えば、我が家には吹き抜けがありまして、そこには5mの昇り綱があります。下手すれば5mの高さから落ちるわけで、大変危険です。しかし、我が家には多くの子どもが遊びに来ますが、いまだかつて落ちてけがをした子はいません。それは「落ちたらけがをする」と緊張感をもって遊ぶからでしょう。 そうですね。意思を持って行動している状況であれば、けがはしないはずです。けがをすることで子どもが学習していくのもまた、真実でしょう。ただ、私たちが減らしたいと願っている事故は、子どもが後ろを付いて来ているのにお母さんが気付かず、ドアをバンと閉めてしまって指を挟んだというような、意思はおろか意識すらないところで発生する事故です。そうした事故がゼロになるのは現実には難しいかもしれません。しかし、せめて小さな事故で済むように、これまでの家であれば骨折していたところが打撲程度で済むように、という思想が「キッズデザイン」なのです。 ただ、世の中ではそうした2種類の事故が区別されておらず、公園や学校のブランコ、ジャングルジムなどの遊具は、危険だからと、どんどん撤去されています。そのため、子どもたちは何が危険か学びようもありません。さらに、問題なのは、自由度の高い遊び道具が子どもの周りから消えていっていることです。例えば、ジャングルジムは形が単純で、何もしてくれません。だからこそ、お城にもなれば、迷路にもなる。遊び方の自由度が非常に高いわけです。室内であれば、粘土、折り紙、積み木、絵の具に色えんぴつ……。出来上がったおもちゃでは、自分から考え、動かし、造り上げていく能動的な能力を伸ばすことなどできません。 よく分かります。私も自分の子育てでは、規制をなくし、まず自分で考えさせました。そして、やると決めた以上は、間違っても、時間がかかっても、最後までやらせました。 自ら考える力を伸ばすことは、家の形や間取りにかかわらず、家が広かろうが狭かろうが、もちろんできるはずです。ただ、それを後押しする家の形もまたあるはずです。 ええ。私たちは、ホワイトボードやマグネットウォールといった「クリエイティブウォール」を提案しています。つまり、好きなことを自由に、大きく伸び伸び絵が描けるキャンバスの設置です。 私の実家にも、壁一面のホワイトボードがあります。面白いことに、最初は小さくしか描けないのに、だんだん慣れてくると、とてつもなく大きな物を描き始めたり、ストーリー仕立ての絵を描き始めたりするんですよね。 それは楽しそうですね。ただ、「クリエイティブウォール」を提案しても、使い方がピンとこない親御さんも中にはいらっしゃいます。 家庭新聞だったら、取り組みやすいかもしれません。家族のイベントをカレンダーなどに書き込んで管理している家庭が多いと思いますが、我が家では、子どもたちが「今月の予定を教えてください」と聞きに来ます。言うとそれを大きな紙に書いてくれるので、家庭新聞としてダイニングに張っていました。 自ら考える力や発想力に関しては、私は家庭での「お手伝い」が最も役に立つと考えています。お手伝いをすることで、子どもたちは段取りよく動くことを覚え、さまざまなことに気を配り、自立的に考えて体を動かすようになるのです。 私も、常々お手伝いも大事だと考えています。例えば、五味、つまり酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味（かんみ、塩味）が発達した人は自己防衛力が強いと言われます。酸味から腐った物を知り、苦味から毒を見分けるからでしょう。そうした味覚の発達は、子どものときに、食事を作る、運ぶ、食べる、後片付けをする、さらには、家庭菜園の植え付けから収穫までといった、お手伝いの経験の有無と密接な関係があります。私たちも、ダイニングテーブルとキッチンの距離を縮めてお皿を運びやすくするなど、間取りの工夫をしています。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="kiji clearfix" style="margin-top: 25px;">
<p><strong>就職後や成人後にその人の育てられ方が取り沙汰され、さまざまな子育て論が展開されている昨今。<br />
親にとっては“子育ての場”、子どもにとっては“自分をつくっていく場”である“家”が今回のテーマ。<br />
“子どもにとっていい家とはどんな家か？”<br />
子ども目線の家づくりで「キッズデザイン賞」を3年連続受賞しているLIXIL住宅研究所キッズデザイン研究所所長の高橋司郎氏と、「お手伝い至上主義」で独自の子育て論を実践している金沢工業大学教授の三谷宏治氏に語り合ってもらった。</strong></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-8744" style="margin: 0 0 15px 220px;" title="アイコン説明" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/no44_kodomo_icon_l.gif" alt="BUAISO（以下B）／高橋（敬称略、以下T）／三谷（敬称略、以下M）" width="149" height="48" /></p>
<dl>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8747" title="BUAISO" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_b_s.gif" alt="BUAISO" width="20" height="20" /></dt>
<dd><strong>今日は、子育てしやすい家づくりについて一緒に考えていきたいと思います。まず、そもそも「キッズデザイン」とはどのような設計思想なのでしょうか。</strong></dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>「キッズデザイン」とはひとことで言えば、“こどもにやさしい”は“みんなにやさしい”ということです。例えば、よく知られている「バリアフリー」は、家の中で、お年寄りや身体の不自由な方たちが不便を感じる段差や、回しにくい把手のような障害を取り除こうとする考え方です。そこから一歩進み、すべての方にとって暮らしやすい環境をつくろうとする考え方が「ユニバーサルデザイン」と呼ばれるものですが、それでもまだ、子どもの立場で考えるとさまざまな工夫が必要です。子どもの視野は大人の3分の2程度と言われています。例えば6歳児の場合、垂直方向の視野は大人の約120度に対して約70度、水平方向は大人が約150度あるのに対して約90度しかありません。だから、子どもの目線・子どもの基準で暮らしやすさを考えよう。それが「キッズデザイン」の考え方です。</dd>
</dl>
<div id="attachment_8759" class="wp-caption alignright" style="width: 280px"><img class="size-full wp-image-8759" title="三谷宏治" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/no44_kodomo_ph01.jpg" alt="三谷宏治　金沢工業大学虎ノ門大学院教授 87年東京大学理学部物理学科卒業。外資系コンサルティング会社を経て、96年から本格的に教育活動を始める。 大学2年、高校3年、中学2年生の3姉妹の父" width="270" height="250" /><p class="wp-caption-text">三谷宏治金沢工業大学虎ノ門大学院教授87年東京大学理学部物理学科卒業。外資系コンサルティング会社を経て、96年から本格的に教育活動を始める。大学2年、高校3年、中学2年生の3姉妹の父</p></div>
<dl>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>日本は諸外国に比べて、家庭内での子どもの事故が多いようですね。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>厚生労働省の平成20年度人口動態調査によると、1歳から4歳児の不慮の事故は、50.3％が家庭内で起きています。そこで私たちは、子どもの目線で家の中の危険を見つめ直しました。例えば、指を挟みにくいようゆっくり閉まる機能を室内建具に付ける、小さな子どもの浴槽への転落を抑止するため、脱衣室とトイレの扉にチャイルドロックを設置するなどです。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>私もそうした類いのけがはしてほしくないと思っていますが、他方で、子どもを危険から遠ざけてしまうのも良くないと考えています。例えば、我が家には吹き抜けがありまして、そこには5mの昇り綱があります。下手すれば5mの高さから落ちるわけで、大変危険です。しかし、我が家には多くの子どもが遊びに来ますが、いまだかつて落ちてけがをした子はいません。それは「落ちたらけがをする」と緊張感をもって遊ぶからでしょう。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>そうですね。意思を持って行動している状況であれば、けがはしないはずです。けがをすることで子どもが学習していくのもまた、真実でしょう。ただ、私たちが減らしたいと願っている事故は、子どもが後ろを付いて来ているのにお母さんが気付かず、ドアをバンと閉めてしまって指を挟んだというような、意思はおろか意識すらないところで発生する事故です。そうした事故がゼロになるのは現実には難しいかもしれません。しかし、せめて小さな事故で済むように、これまでの家であれば骨折していたところが打撲程度で済むように、という思想が「キッズデザイン」なのです。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>ただ、世の中ではそうした2種類の事故が区別されておらず、公園や学校のブランコ、ジャングルジムなどの遊具は、危険だからと、どんどん撤去されています。そのため、子どもたちは何が危険か学びようもありません。さらに、問題なのは、自由度の高い遊び道具が子どもの周りから消えていっていることです。例えば、ジャングルジムは形が単純で、何もしてくれません。だからこそ、お城にもなれば、迷路にもなる。遊び方の自由度が非常に高いわけです。室内であれば、粘土、折り紙、積み木、絵の具に色えんぴつ……。出来上がったおもちゃでは、自分から考え、動かし、造り上げていく能動的な能力を伸ばすことなどできません。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>よく分かります。私も自分の子育てでは、規制をなくし、まず自分で考えさせました。そして、やると決めた以上は、間違っても、時間がかかっても、最後までやらせました。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>自ら考える力を伸ばすことは、家の形や間取りにかかわらず、家が広かろうが狭かろうが、もちろんできるはずです。ただ、それを後押しする家の形もまたあるはずです。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>ええ。私たちは、ホワイトボードやマグネットウォールといった「クリエイティブウォール」を提案しています。つまり、好きなことを自由に、大きく伸び伸び絵が描けるキャンバスの設置です。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>私の実家にも、壁一面のホワイトボードがあります。面白いことに、最初は小さくしか描けないのに、だんだん慣れてくると、とてつもなく大きな物を描き始めたり、ストーリー仕立ての絵を描き始めたりするんですよね。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>それは楽しそうですね。ただ、「クリエイティブウォール」を提案しても、使い方がピンとこない親御さんも中にはいらっしゃいます。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8745" title="三谷" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_m_l.gif" alt="三谷" width="20" height="20" /></dt>
<dd>家庭新聞だったら、取り組みやすいかもしれません。家族のイベントをカレンダーなどに書き込んで管理している家庭が多いと思いますが、我が家では、子どもたちが「今月の予定を教えてください」と聞きに来ます。言うとそれを大きな紙に書いてくれるので、家庭新聞としてダイニングに張っていました。<br />
自ら考える力や発想力に関しては、私は家庭での「お手伝い」が最も役に立つと考えています。お手伝いをすることで、子どもたちは段取りよく動くことを覚え、さまざまなことに気を配り、自立的に考えて体を動かすようになるのです。</dd>
<dt><img class="alignnone size-full wp-image-8746" title="髙橋" src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/icon_t_l.gif" alt="髙橋" width="20" height="20" /></dt>
<dd>私も、常々お手伝いも大事だと考えています。例えば、五味、つまり酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味（かんみ、塩味）が発達した人は自己防衛力が強いと言われます。酸味から腐った物を知り、苦味から毒を見分けるからでしょう。そうした味覚の発達は、子どものときに、食事を作る、運ぶ、食べる、後片付けをする、さらには、家庭菜園の植え付けから収穫までといった、お手伝いの経験の有無と密接な関係があります。私たちも、ダイニングテーブルとキッチンの距離を縮めてお皿を運びやすくするなど、間取りの工夫をしています。</dd>
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		<title>けいこ不足を幕は待たない　恋はいつでも初舞台</title>
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		<pubDate>Wed, 25 May 2011 03:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>k.horio</dc:creator>
				<category><![CDATA[提言]]></category>

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		<description><![CDATA[めまぐるしく変化する現代 　さて、ギリシャ神話に続いては演歌である。先月号から少し趣が変わったのは、編集部からの注文で“古典とビジネス”という観点から書いてほしいということが元になっている。 　そこで先回ではギリシャ神話を引っ張り出したのだが、今回は演歌の古典・梅沢富美男の『夢芝居』である。 　昔は日進月歩と悠長なことを言っていたが、今は実にめまぐるしく事態は変化していく。ドッグイヤーなどといって、かつては7年かかって推移したことが、今では1年で変わってしまう。そのうちに“納棺年”などというものが言われるかもしれない。49年で変化したものが1年で変化するのだ。 「昨日の敵は今日の友」などということは暢気すぎる。昨日のJV（ジョイントベンチャー）パートナーが今日の敵となることだって十分あり得る。これらの状況で、これまでの経験から何らかの結論を導き出そうとしても、解は見つからない。そういう時代なのである。 　もちろん、経験が豊富であれば、それだけ解を見つけることが容易であることは間違いない。しかし、それも過去に縛られたり成功経験に酔っていたりすると自滅する。 　企画にしても、マーケット戦略にしても、すべて白紙から始めなければならないようなケースが多すぎる。結局、これらのことを克服して新しい手段を見つけていかなければならない。 　以前は方法と中身は別に考えるべきだという考えが支配的であった。すなわち一種の「方法論」が確立していれば、あとはそれに個々の事案を当てはめるだけということがかなり有効だった。演繹的手法とでも呼べるかもしれない。学校の優等生の最も得意とするところであった。 一つの実体として考える 　例えば、輸送手段の競合を考えてみよう。かつて自動車は皆ガソリンで走るものだった。その原理原則はどの自動車メーカーでも同じであった。あとは性能、デザイン、価格、そして昨今ではブランド力やイメージといったものが加わってきたのだが、根本においては日産もトヨタも同じであった。 　ところが、最近ではガソリンばかりでなく、ハイブリッドや電気という新たな動力・燃料も考慮に入れなくてはならなくなった。こうなると「輸送手段」に加えて、エコとか経済性も考慮に入れなくてはならない。 　長距離輸送にしても同じである。東京～大阪間が「のぞみ」で2時間半で結ばれると、航空会社にとってはライバルとなる。航空と鉄道は、現在、東京と青森や秋田の間などで猛烈な争いとなっている。 　今までは考えてもみなかった情勢において何かを考えるときに必要なことは、「方法」と「中身」を区別することなく一つのエンティティ（実体）として考えることかもしれない。 　とにかく、ビジネスは“鬼が出るか蛇が出るか”の世界に否応なく組み込まれていってし まっている。 　こういう時には常に不安を抱えて行動するのがよいのか、あるいはもう出たとこ勝負で気楽に構えていればよいのかは分からない。 　不安と危機感の持続＝サバイバルと言った人もいるが、それではノイローゼになってしまう。 　とにかくこの時代、恋もビジネスも常にけいこ不足で対応しなければならない。いつも初舞台のつもりで。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_8935" class="wp-caption alignright" style="width: 270px"><img src="http://www.buaiso.net/wp-content/uploads/2011/05/no44_teigen_ph01.jpg" alt="ビジネスに型通りのトレーニングはない。その状況にいかに対応するかが重要だ" title="ビジネスに型通りのトレーニングはない。その状況にいかに対応するかが重要だ" width="260" height="188" class="size-full wp-image-8935" /><p class="wp-caption-text">ビジネスに型通りのトレーニングはない。その状況にいかに対応するかが重要だ</p></div>
<h5>めまぐるしく変化する現代</h5>
<p>　さて、ギリシャ神話に続いては演歌である。先月号から少し趣が変わったのは、編集部からの注文で“古典とビジネス”という観点から書いてほしいということが元になっている。<br />
　そこで先回ではギリシャ神話を引っ張り出したのだが、今回は演歌の古典・梅沢富美男の『夢芝居』である。<br />
　昔は日進月歩と悠長なことを言っていたが、今は実にめまぐるしく事態は変化していく。ドッグイヤーなどといって、かつては7年かかって推移したことが、今では1年で変わってしまう。そのうちに“納棺年”などというものが言われるかもしれない。49年で変化したものが1年で変化するのだ。<br />
「昨日の敵は今日の友」などということは暢気すぎる。昨日のJV（ジョイントベンチャー）パートナーが今日の敵となることだって十分あり得る。これらの状況で、これまでの経験から何らかの結論を導き出そうとしても、解は見つからない。そういう時代なのである。<br />
　もちろん、経験が豊富であれば、それだけ解を見つけることが容易であることは間違いない。しかし、それも過去に縛られたり成功経験に酔っていたりすると自滅する。<br />
　企画にしても、マーケット戦略にしても、すべて白紙から始めなければならないようなケースが多すぎる。結局、これらのことを克服して新しい手段を見つけていかなければならない。<br />
　以前は方法と中身は別に考えるべきだという考えが支配的であった。すなわち一種の「方法論」が確立していれば、あとはそれに個々の事案を当てはめるだけということがかなり有効だった。演繹的手法とでも呼べるかもしれない。学校の優等生の最も得意とするところであった。</p>
<h5>一つの実体として考える</h5>
<p>　例えば、輸送手段の競合を考えてみよう。かつて自動車は皆ガソリンで走るものだった。その原理原則はどの自動車メーカーでも同じであった。あとは性能、デザイン、価格、そして昨今ではブランド力やイメージといったものが加わってきたのだが、根本においては日産もトヨタも同じであった。<br />
　ところが、最近ではガソリンばかりでなく、ハイブリッドや電気という新たな動力・燃料も考慮に入れなくてはならなくなった。こうなると「輸送手段」に加えて、エコとか経済性も考慮に入れなくてはならない。<br />
　長距離輸送にしても同じである。東京～大阪間が「のぞみ」で2時間半で結ばれると、航空会社にとってはライバルとなる。航空と鉄道は、現在、東京と青森や秋田の間などで猛烈な争いとなっている。<br />
　今までは考えてもみなかった情勢において何かを考えるときに必要なことは、「方法」と「中身」を区別することなく一つのエンティティ（実体）として考えることかもしれない。<br />
　とにかく、ビジネスは“鬼が出るか蛇が出るか”の世界に否応なく組み込まれていってし<br />
まっている。<br />
　こういう時には常に不安を抱えて行動するのがよいのか、あるいはもう出たとこ勝負で気楽に構えていればよいのかは分からない。<br />
　不安と危機感の持続＝サバイバルと言った人もいるが、それではノイローゼになってしまう。<br />
　とにかくこの時代、恋もビジネスも常にけいこ不足で対応しなければならない。いつも初舞台のつもりで。</p>
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