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【マッチ&ニッチ商売論】宣伝・広報+地元の町=唯一無二の町づくり会社

その手があったか!脱サラ起業家たちの

【マッチ&ニッチ商売論】宣伝・広報+地元の町=唯一無二の町づくり会社

会社を辞めて独立する。やるだけならば簡単だ。しかし、戦略も展望もないまま独立すると、仕事が全くなかったり、
安い請負作業で使い捨てられかねない。独立するならば、ニッチでも確かな収入と自由があるビジネスを創り出したい。
ポイントは「組み合わせる」こと。異なる二つの切り口をうまく合わせれば、唯一無二の存在になれる。
サラリーマン経験も活かし、組み合わせで成功した起業家たちの物語を追う。

 名古屋市覚王山。明治期にタイから寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を安置している日泰寺を中心とする高級住宅地だ。いわゆる名古屋メシとはかけ離れたハイセンスの飲食店も点在し、大人の街歩きに適した閑静な地域である。

加藤さんの秘密基地「三ッ山猫スペース」。江戸時代から月の名所として知られていた場所にあり、地元の名店とコラボした「満月会」は話題に。「今後、地域発信型のイベントをさらに増やす予定です」(加藤さん)

加藤さんの秘密基地「三ッ山猫スペース」。江戸時代から月の名所として知られていた場所にあり、地元の名店とコラボした「満月会」は話題に。「今後、地域発信型のイベントをさらに増やす予定です」(加藤さん)

 ある冬の夜、地下鉄覚王山駅から10分ほど歩くと、日泰寺の巨大な境内の裏手にビストロの灯りが見えた。その2階が今回登場する加藤季一さん(40)の秘密基地である「三ツ山猫スペース」だ。地元の飲食店などとコラボして、月見会やコーヒー教室などを開催しているという。
「そんなに儲かっているわけではないけれど、(取材対象は)僕で大丈夫ですか?」
 元出版社勤務だけに「同業」の筆者たちに気遣いをしてくれる加藤さん。実際に会ってみると自らの過去と現在を情熱的に語り始めた。話は18年前に遡る。
 名古屋市の住宅地である本山で生まれ育った加藤さんは、大学卒業後も東京や大阪に出るつもりはなく、地元の出版社への就職を希望していた。志望企業に入社を果たし、研修を受けた際に「一番面白い」と感じたのは、雑誌や書籍の編集部ではなかった。
「企業や自治体の依頼を受けてセールスプロモーションのイベントを仕掛ける部署です。でも、入ってみたら大変な部署でした。期間限定の飲食イベントをいきなり任されて、『お前が責任者だから。すべて自分で考えて動け』と上司。朝9時に現場に行って朝4時に帰宅するような毎日が3ヶ月ぐらい続きました。あまりにキツいのでイベントが終わったら会社を辞めようと思っていたのですが、打ち上げの席でイベント主催者が『一番がんばった人です』と紹介してくれたんです。感激して泣いてしまいました。そして、仕事を続けることができました」
 若き加藤さんの心意気が伺えるエピソードである。今では仕事を「丸投げ」してきた上司に感謝していると加藤さんは振り返る。
「(セールスプロモーションは)責任を持ってやらせてもらわないと覚えられない仕事だからです」
 仕事への健全な自信がつくと、顧客や社会への責任感も増していく。入社7年目、当時話題になり始めていた食品偽装問題を身近に感じる出来事があり、加藤さんは悩み抜いた。
「繁盛していたクライアントの一つがごまかしをしていたんです。食材を20種類も使っていると宣伝してお客を集めているのに、本当は8種類ぐらいしか使用していませんでした。僕たちはウソの情報を広告物に載せていることになる。このまま仕事をしていても精神衛生上良くないと思って会社を辞めることにしました」
 結婚したばかりだったが、奥さんも反対しなかったという。真面目な加藤さんだけによほど追い詰められた表情をしていたのだろう。
 独立してまず始めたのは無農薬野菜の販売事業だった。信用度を上げるために野菜ソムリエの資格を取得し、愛知県内の農家を回って話をつけ、本物の無農薬野菜だけを飲食店や個人に売り始めた。しかし、まったく儲からない。やりがいはあるが貯金を切り崩して生活する日々はいつまでも続かない。どうするか。
「あの頃、会社を辞めなければよかったと毎日のように後悔していました」
 会社を離れる際は顧客企業のすべてを後輩たちに引き継いだ加藤さん。独立後に元顧客に営業をかけることはしなかった。恩義ある会社に後ろ足で砂をかけたくなかったのだろう。
 退社して2年も経てば義理は果たせる。前の会社が以前ほどは飲食店のセールスプロモーション請負に力を入れていなかったこともあり、加藤さんは元顧客企業のうち誠実な商売をしている数社だけに声をかけた。自分を外部広報担当として雇わないか、と。
 飲食店には様々な広告営業の電話がかかってくる。もちろん有意義な広告媒体もあるのだが、知識がないとコストだけかさんで赤字になってしまう恐れもある。もともとは広告営業する側の人間であり、名古屋という街も知り尽くしている加藤さんが窓口になることで、出稿先を選別することができる。独自のチラシ作りなどもお手の物だ。
「おせちで問題になった共同購入型クーポンの営業をはねつけたことがあります。いくら説明を聞いても、店側は売れば売るほど赤字になる仕組みだからです。割引目当てに来る客がリピーターになることもありえません。飲食店をバカにしているのか、と腹が立ちましたね」
 顧客企業を守ったことで加藤さんの評判は上がり、現在に至るまで「外部広報」の仕事は稼ぎ頭になっている。ただし、加藤さんの問題意識はそこに留まらなかった。
「町を愛して、町を元気にする雑誌」と銘打ったフリーペーパー『マチル』。閉店してしまう店を惜しむ特集など、広告主体のフリーペーパーでは不可能な企画も盛り込み、地域の読者に支持されている

「町を愛して、町を元気にする雑誌」と銘打ったフリーペーパー『マチル』。閉店してしまう店を惜しむ特集など、広告主体のフリーペーパーでは不可能な企画も盛り込み、地域の読者に支持されている

「自分たちの町は自分たちで守らなければならないと思いました。飲食店がお金を出し合って自前の(宣伝広告用の)本を作ればいい。店同士の利害が絡んで実現は難しいのですが、行きがかり上、僕が制作費をいただいて作ることにしました」
 この企画は実現まであと一歩のところで、ある会社から「そんな話は聞いていない」とクレームを受けてとん挫する。加藤さんは匙を投げた。そして、誰からもお金をもらわずに自分が好きな店だけを紹介するフリーペーパーを作ってやろうと決意する。
「意地とプライドの問題です。前の会社で雑誌編集長を務めていた女性が辞めたと聞いたので、フリーペーパーの編集長になってくれるようにお願いしました。彼女の人件費も含めた制作費150万円は僕の自腹です」
 それでも発行部数はわずか1万部。名古屋全域をカバーしても影響力は発揮できない。ここで加藤さんは英断を下す。自らの出身地である本山と、隣接していて町並みや住民の気質に一体感がある覚王山、東山、猫ヶ洞の4地域(冒頭の「三ッ山猫」の由来)に限定したエリア情報誌にしたのだ。
 広告営業ではないとはいえ、ほぼ個人で作る新雑誌の取材依頼に怪訝な表情で応じる飲食店も少なくなかった。しかし、美しい表紙のフリーペーパーを発行し、地域の住宅にポスティングをすると驚きと喜びの声が聞こえてきた。宣伝のプロと広告のプロがタッグを組み、自分たちが好きな店だけを心を込めて取材して書いたフリーペーパー『マチル』は周囲の予想を超える出来栄えだったのだ。
「取材先のカフェから『もっとチープなものだと思っていたので、できたものを見てびっくりしました。侮っていてすみません』と謝られ、あるビストロからは『取り上げてもらったおかげで、新規のいいお客さんが来てくれました』と感謝されました。クーポンなんて付けなくても反響はあるんだ、と証明できたと思います」
取材時の三ッ山猫スペースでは、新進気鋭のコーヒー豆専門店「ブラックバードコーヒー」による教室が開かれていた

取材時の三ッ山猫スペースでは、新進気鋭のコーヒー豆専門店「ブラックバードコーヒー」による教室が開かれていた

 ようやく溜飲を下げた加藤さん。2号目を作る予定はなかった。これ以上は自腹を切れないからだ。しかし、「広告料ではなく協賛金という形ならお金を出す」という飲食店の声に押されて、翌年に2号目を発行。それでも大幅な赤字だったが、3号目からは不動産の広告も入り、4号目にはついに黒字化した。評判を聞きつけた商店街や企業から制作物の依頼も舞い込むようになった。
「お店同士も仲良くなり、カフェの人がお客さんに『あそこのパン屋さんはおいしいよ』と教えてあげたりしています。うれしいことです」
 自分たちの町は自分たちで守る――。お金よりも意地と愛情を優先させて行動した加藤さんを町も店も見捨てはしなかった。「儲かっているわけではないけれど」と言いながらも笑顔と活力に満ちた加藤さん。その秘密が少しわかった気がする。


DSCF9909加藤季一(かとう・としかず)

1974年愛知県県名古屋市生まれ。大学卒業後、名古屋市内の出版社に就職。企業や自治体のセールスプロモーションを請け負う部署に配属され、7年間の勤務の後に独立。無農薬野菜の販売、飲食店の社外広報、エリア情報誌『マチル』の発行などを行っている。有限会社ミドルリリーバー代表。

独立後データ(独立前を100とする)
◎収入………200
◎支出………170
◎睡眠時間…130
◎通勤時間…0
◎自由時間…120

文|大宮冬洋

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