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【マッチ&ニッチ商売論】ブランド構築力+ゼロからの出直し=開業1年目から成功する靴職人

その手があったか! 脱サラ起業家たちの

【マッチ&ニッチ商売論】ブランド構築力+ゼロからの出直し=開業1年目から成功する靴職人

会社を辞めて独立する。やるだけならば簡単だ。しかし、戦略も展望もないまま独立すると、仕事が全くなかったり、
安い請負作業で使い捨てられかねない。独立するならば、ニッチでも確かな収入と自由があるビジネスを創り出したい。
ポイントは「組み合わせる」こと。異なる二つの切り口をうまく合わせれば、唯一無二の存在になれる。
サラリーマン経験も活かし、組み合わせで成功した起業家たちの物語を追う。

福岡での学生時代は「走り屋」だったと笑う西森さん。穏やかだがやんちゃな男性だ

福岡での学生時代は「走り屋」だったと笑う西森さん。穏やかだがやんちゃな男性だ

 JR新宿駅から中央線の快速電車で10分ほど。西荻窪駅に到着する。土日は快速が止まらないため、両隣のターミナル駅である吉祥寺と荻窪と比べると小さくまとまった印象を受ける町だ。買い物客は近隣の住民が主体で、チェーン店よりもユニークな個人商店が人気を集める。
 筆者は3年ほど前までこの町で暮らしていた。愛情を込めて評するならば、「一流ではなく自分流を志す人の町」だ。競争や上昇志向よりも、個性やマイペースさが似合うし愛される土地柄である。
 駅の南口を出て、アーケードのある商店街を抜けて5分ほど歩くと「天草製作所」が見えてくる。表参道や銀座にあってもおかしくない高級感と解放感が漂う。店主の個性よりもサービス精神やプロ意識のようなものが感じられる店構えだ。
「私は脱サラして靴職人になって7年しか経っていません。歳は食っていますけど、この世界ではまだまだ駆け出しです。20年ぐらいの経験があってお金もあれば青山や銀座で勝負したかもしれませんね。ただし、この店だけでは終わらないぞ、という気持ちはあります。近い将来、ニューヨークに支店を出すことが目標です」
 家賃などの出店費用の兼ね合いで西荻窪を選んだと正直に語る西森真二さん(46歳)。国内外の一等地へ出店する野心も隠さない。それでいて西荻窪の町にしっかり馴染み、近所の店舗と交流を深めている。いずれ店舗を増やしても、本店は「創業の地」を離れるつもりはないという。
 店名には高校生まで過ごした故郷を冠し、その名に恥じない仕事をすることを肝に銘じている西森さん。上昇意欲と地元志向が同居した不思議な人柄だ。
 17年間勤め上げた広告代理店を退職したきっかけは、「大手じゃないので引け目があり」、「社長にもなれないことがわかった」からだ。当時39歳。会社では実績を上げ、若くして営業部の管理職を務めていた。年齢や職歴とはかけ離れた若々しい退職理由である。
ハイヒールを修理中のスタッフ、永井麻里さん。もう一人のスタッフの高橋那由太さんはシフトでお休み

ハイヒールを修理中のスタッフ、永井麻里さん。もう一人のスタッフの高橋那由太さんはシフトでお休み

「営業数字を上げていれば(場所や時間に)拘束されない仕事だったので自由に楽しくやらせてもらっていました。でも、40歳を目前としてモヤモヤ感が強くなったんです。仕事でうまくいかないことがあると『うちの会社は小さいから(コンペに)負けたんだ』と言い訳をしたり……。『プロフェッショナル』や『情熱大陸』などのテレビ番組を観ていて、冒険しなくちゃ、何かやらかさなきゃ、と思いました」
 会社の不満と自営業への憧れだけで退職・独立をしてもうまくいかないケースが多い。会社の看板がなくなると、「ただの人」になってしまうからだ。友人知人を除くと顧客は簡単に見つからないことがわかるだろう。
 下手をすると路頭に迷ってしまう。しかし、西森さんの場合は腹の据え方が違っていた。最初からあえて「路頭に迷う」ことにしたのだ。
「今までの気取りやプライドを捨てて、一から、いやゼロから何かを始めてみようと思ったんです。思いついたのが路上の靴磨き。正直に言えば、まともな人がやる仕事だとは思っていませんでした。地べたにはいつくばって他人の靴を磨くのですからね」
 だからこそ、路上を新たな仕事場に選んだ。ただし、営業マン時代に身につけた差別化と顧客志向の心得は忘れなかった。人と同じことをやっていても客はつかめない。西森さんはワイシャツにネクタイ、ハット姿という服装で身を固めて、ワンランク上の靴磨きをアピールした。料金は1回800円。1日平均8人の客がついたが、経費を引くと食べていくことは難しい。
マンションと商店が混在し、生活感のある細い道沿いに天草製作所はある

マンションと商店が混在し、生活感のある細い道沿いに天草製作所はある

「夜も靴を磨こうと思いつき、歌舞伎町のホストクラブを1軒1軒回りました。ほとんどは門前払いです。でも、老舗の『愛本店』には認めてもらってお世話になりました」
 人気ホストの高級靴をはじめ、様々な靴を磨くにつれて興味が高まり、靴職人になって開業したいという思いが固まっていった。浅草にある靴の専門学校に入り、2年間かけてオーダーメイドの靴作りを学んだ。卒業後、仲間と工房をシェアしてオーダー靴の制作に取り組んだ。
 しかし、当時の西森さんは無名の職人だ。店を構えているわけでもない。仕上りにどれだけ自信があったとしても、1足20万円もするオーダー靴を注文してくれるのは知り合いのみ。すぐに行き詰まった。
「日銭を稼ぐためにも修理を習わないといけない、と悟りました。でも、高級靴の修理を実践的に教えてくれる学校はありません。40歳を超えている私を雇ってくれる会社も東京では見つかりませんでした」
 西森さんが目指すのは、数分で済むような安価で簡単な靴修理ではない。使い古した高級靴を見事に蘇らせるほどの本格的な修繕である。技術を習得できる会社がもともと限られているのだ。
シックな店内には切り花が常に飾ってあり、上質感が漂っている

シックな店内には切り花が常に飾ってあり、上質感が漂っている

 ようやく入社を許されたのは大阪にある靴修理専門会社だった。一軒家を借り上げた社員寮があり、西森さんはそこで若い仲間たちと一緒に住んで昼夜を分かたず働いた。
「徹夜仕事は当たり前。寮も職場も徹底的な清掃を命じられました。きつかったですよ。でも、この2年間がなかったら独立開業はできなかったと断言できます。覚えた修理技術も中途半端なものではありませんし、(工房やお店の)環境整備の大切さも身に染みてわかりました。うちの店は毎日、床掃除をしています。靴の仕上がりもお店の雰囲気もお客様に感動を与えられなければなりませんからね。2年で辞めて開業するとあらかじめ言っていた私を面白がって雇ってくれた社長にはすごく感謝しています」
 このインタビューは平日の昼時に行ったが、1時間ほどの間に2人のお客さんが訪れた。1人目は近所に住むという若い女性。「安い靴で恥ずかしいけれど」と修理の相談に来たらしい。靴の表面にカビが生えてしまっているようだ。西森さんは嫌な顔はまったくせずに丁寧に対応し、無料で少し磨いてあげていた。そのうえで、修理をしてもまたすぐに悪くなってしまう品質の靴であることをさりげなく伝えていた。
「お客様を選んでいるわけではありませんが、安さを売りにする店との差別化は意識しています」
 天草製作所は、ここぞというときに履く高級靴を作り、それを長く使っていくための店なのだ。この女性もきっとわかってくれるだろう。
店内に飾られた西森さんのオーダーメイド靴の見本。メンズのパターンオーダーは13万円~注文可能だ

店内に飾られた西森さんのオーダーメイド靴の見本。メンズのパターンオーダーは13万円~注文可能だ

 もう1人の客は、キルティングコートに身を包んで現れた中年の紳士。西森さんの広告代理店時代からの恩人らしい。開業のときに自己資金が50万円しかなかった西森さんにお金を貸して、オーダー靴の発注もしてくれたという。今日は若い仕事仲間を連れての来店。全身を笑顔にして駆け寄った西森さんと軽く言葉を交わし、筆者がインタビュー中であることに配慮してか「その辺で食事をしてくるよ」と店を後にした。実にスマートである。
 恩人たちからの借金は1年で返済し、現在は2人のスタッフに靴の修理作業は基本的に任せている。39歳のときにゼロから再出発した西森さんがここまで来たのは、苦労や恥辱を厭わずに本格的な知識と技術を習得したことが大きい。その本気な姿を見たからこそ、周囲は西森さんを応援しようと思ったのだろう。
 西森さんはいま、天草製作所の中核事業である靴作りに取り組みつつ、商店街をさらに盛り上げるためのイベント活動にも参加している。数年後、西荻窪発の世界的な靴ブランドが誕生しているかもしれない。


11 (2)西森真二(にしもり・しんじ)

1969年熊本県天草出身。九州産業大学を卒業後、東京の広告代理店に入社。17年間の勤務後に退社し、路上での靴磨きから靴の世界に入る。都内の専門学校で2年、大阪の靴修理会社で2年の修業を経て、2013年12月に東京・西荻窪に「天草製作所」を開店。2名のスタッフとともに奮闘中。

独立後データ(独立前を100とする)
◎収入………120
◎支出………100
◎睡眠時間…100
◎通勤時間…10
◎自由時間…60

文|大宮冬洋

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