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【Point of View】お茶の歴史

女性経営者のグローバル視点

【Point of View】お茶の歴史

 私の朝は、お茶なしには始まりません。起きてまずは紅茶に生姜を入れてたっぷりと。家族が起きてきて、朝ごはん・送り出しを終えて、自分が出る前に今度は抹茶を点てて一服。慌ただしい朝の束の間の至福の時です。これでカフェインをチャージして一日乗り切っています。
 このお茶、世界中で呼び名が二系統に分かれていたり、紅茶とお茶は同じ植物だったり、知れば知るほど面白い歴史を持っています。今回はお茶の歴史について紐解いてみます。

Cha? Tea?

 学生の頃、夜が明け白むまで興奮して読んだ沢木耕太郎さんの『深夜特急』という本の中で、お茶について書かれた部分があったのですが、その内容が未だに忘れられません。世界のお茶の呼称について、「Ch」で始まる「Cha(チャ)」と「T」から始まる「Tea(ティー)」・「Te(テ)」の2つの系統の音に分かれることを沢木氏が旅先で知るのです。中欧、西欧ともに「テ」の音が優勢な中、西欧の端であるポルトガルに入るとなぜかまたアジアと同じ懐かしい「チャ」の音に戻ること。そして窓を開けて眼下に大西洋を見てようやく旅が終わったと感じ、帰国を決める、そんなお話だったと記憶しています。(はい、御多分に漏れず、わたくしも真似して大陸横断貧乏旅行など実践した世代です。スペインから入って東を目指したためにポルトガルは行けず……いつか訪問して確認してみなくては、と思っています。)
 以前の号で言葉の伝播と文化やモノの伝播がほぼイコールである場合が多い、というお話をしましたが、「お茶」も同様に実際の喫茶の文化とともに言葉が伝播しています。広東語系の「チャ」という言葉は、北方は北京、朝鮮半島、日本へ、また陸路を経てモンゴル、チベット、ベンガル、インド、中近東からトルコへと西アジア一帯へ伝わりました。ロシアへもモンゴルを経由して伝わったため、ロシア語ではчaй(chay)チャイという発音です。
 他方の伝播ルートは、福建の厦門(アモイ)からインドネシアの港を経由してオランダへ渡ったのが最初で、そこから西欧、北欧諸国に広がったため、欧州の多くの国で、福建語由来の「ティー」「テー」といった呼称になりました。この伝播の海路にあたるインドネシア、マレーシア、スリランカ、インド南部の地域も、それぞれ「テ」「テー」「テーイ」と福建語系の音が残っています。
 件のポルトガルでの「チャ」という呼び名の謎は、当時ポルトガルが広東(マカオ)を統治していた影響から広東語の「チャ」の音で伝わったとのこと。地図で色分けしてみるとやはり不思議な感じがします。
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紅茶は緑茶から生まれた?!

 さらに、紅茶も緑茶も同じ植物だと知った時にもまたまた感動したものです。恐らく多くの西洋人が西洋の生粋の文化だと信じている紅茶も、元はアジアが発祥です。
 ヨーロッパの書物に最初に現れる「お茶」の記事はアラビアの旅行者によるもので、9世紀後半には広東の茶の収税について触れています。16世紀後半になると、ポルトガル人が統治するマカオから足を延ばし、日本の「茶の湯文化」に接し、その作法を含む文化や日本人がお茶のための茶室や道具に莫大な金を払うことに驚嘆したとのこと。オランダ東インド会社の船が最初のお茶を西欧に運んだのが1610年、平戸で仕入れた日本茶とマカオからの中国茶が混載されていたと言われます。それがフランスに1636年、ロシアには1638年、英国には1650年に伝わったとのこと。情報が瞬時に伝達される現代では考えられないような時間のかかり方ですが、当のイギリスでは、18世紀前半にはすでにコーヒー店がすべて事実上、喫茶店になったと言いますから、いかにお茶が西欧人を虜にしていったかがわかります。
 ただ、このころは緑茶や厦門で生産された紅茶の原型である半発酵茶が中心で、今の紅茶にあたるものが広まったのは、1823年、イギリスの冒険家がインドのアッサム地方で自生するアッサム種を発見し、その後、中国種との交配を進めてインドやスリランカで広く生産されるようになってから。時代は19世紀も後半からと言いますから、意外と歴史は浅いのですね。19世紀後半は、インドネシア・インド・スリランカが各々の宗主国のプランテーション開発の下、紅茶の一大生産地となり、次いで、第二次大戦後はアフリカ諸国(ケニア・南ア共和国)にも広がりました。
 この間、18世紀から19世紀にかけては、植民地アメリカで、本国イギリスが課す重税に反対してボストン湾に船から茶箱が投げ捨てられ、独立戦争への最初の一歩となったり、お茶の輸入で流出する銀の再流入を狙ってアヘンが中国市場にもたらされ、アヘン戦争のきっかけとなったり、お茶は血なまぐさい歴史のきっかけともなったのでした。
 その中で、西洋諸国はそれまで100年あまり続いた緑茶や中国茶のブームが去り、19世紀後半以降から紅茶の時代になりました。


竹内 明日香(たけうち・あすか)

aska・9097-1-3日本興業銀行(現みずほFG)勤務後独立、(株)アルバ・パートナーズを設立し、企業向けの海外事業や情報発信支援事業を行う。顧客をプレゼン世界大会で金賞獲得に導くなど、法人向けで培ったメソッド・ノウハウをもとに、次世代を担う子どもたち・若者たち向けに、出前授業やワークショップ等を通じて「話すちから」の強化を目指す(社)アルバ・エデュを設立。「プレゼン」を軸に企業向け・教育関係者向けに研修、講演・セミナー等も行う。音羽の森オーケストラ「ポコアポコ」(アマチュアオーケストラ)主宰。東京大学法学部卒。3児の母。

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