ホーム / Business / 経済 / 【ある女性経営者のグローバル視点】プレゼンテーション(3) ~高コンテクストで森林の民で遮らない日本人
【ある女性経営者のグローバル視点】プレゼンテーション(3) ~高コンテクストで森林の民で遮らない日本人

【ある女性経営者のグローバル視点】プレゼンテーション(3) ~高コンテクストで森林の民で遮らない日本人

振り返れば2013年3月に初めてこちらに寄稿した『プレゼンテーション』という記事の中で、日本人は最初から順を追って説明しようとして、スライドやページを順に繰っていこうとするのに、欧米人が割って入って発言するためプレゼンや会議での説明がうまくいかない例がある、というようなことを書きました。これに対しては、海外とのお仕事を担当されている方などから、悲痛な叫びにも近いご賛同をいただいたりして恐縮でしたが、その号においてわたくしは、「恐らくこれは教科書を順に読み、また板書をひたすら写して『順を追って』進む形式の授業に慣れている日本人と、先生と問答しながら進んでいく双方向型の授業を受けている欧米人の対話スタイルの違いではないか」と、結論付けたのでした。また、日本語自体が「優しい言葉」なので交渉に向かない、などと書くに止めました。今号では、それから2年間、引き続き海外と日本の板挟みに合いつつ、いろいろな分野の著作を読み考えたことについて、議論を深めてみたいと思います。すなわち、この日本人と欧米人との会話のギャップは、言語の使い方、思考パターン、会話運びのルールなどにも原因があるのではないか、という話です。

no68_08-09_joseikeieisha_1

高コンテクストと低コンテクスト

日本人の研究としても知られる、文化人類学者のエドワード・T・ホール氏が1959年の『沈黙のことば』の中で、「文化はコミュニケイション(まま)である」と説き、さらに『文化を超えて』(1975年)の中で、「言語なくしてはコミュニケーションはありえないのであり、それゆえ、文化もコミュニケーションも言語に依存する」と説き進め、初めて日本の文化を「高コンテクスト」、欧米の文化を「低コンテクスト」という言葉で表現してから既に40年が経ちました。
コンテクストが高い文化では、各個人に内在する「常識」が共通だという前提で、会話自体がその常識や調和を求めて行われるものだというものです。逆に低コンテクストな文化では、「お互いにあたりまえの物はない」という前提で会話が始まるので、会話の量、説明する量も必然的に増えます。
日本の社会における暗黙知、不文律、非関税障壁、腹芸など、海外から見ると理解できない、と言われる要素があるのは、このコンテクスト度が違うから、というのが大きいと思います。また、日本人が海外で見るテレビCMは、商品の名前、値段、特徴を連呼されてうんざり感じることがある一方、日本の広告は海外から見るとイメージ広告的すぎて、いったいなんのCMか最後まで見ても分からない、と言われるのもこの一つの事例かと思います。さらに、日本での会話運びでは、それ以上は聞かない、立ち入らない、という暗黙のルールがあるのに対し、欧米の方がやたらと「Why?」「Why do you think so?」と根ほり葉ほり聞いてくる、と感じる方も多いのではないでしょうか? 私も欧米人と仕事の空いた時間に議論をしていて、それ以上は意見なんてないわぁ、という自分の内部の「岩盤」に行きあたることがよくあります。日本人が英会話が苦手なのは、英文法よりもヒアリングよりも何よりも、実はこの自分の話を長々展開することがない、あるいは意見を表明する文化がないので、話が長続きしない、というところにもあるように思います。

森林の思考・砂漠の思考

そして少し視点が変わるのですが、地理学者の鈴木秀夫氏が唱える「日本人は森林の思考で欧米人は砂漠の思考だ」、という観点もまた、日本人と欧米人の話し方、考え方のギャップを語るものとして面白いです。日本人は森林の民で、視界が悪いことが前提で、ミクロな部分から会話をスタートするのを好むのに対し、欧米人は砂漠の民なので、鳥瞰図的に物事を捉えるのが好きで、総合的な議論を好む、というものです。言葉を換えると、「下から」ものごとを見る慎重な人間と、「上から」ものごとを決断する人間に分類される、と。日本では縄文晩期と弥生前期に森林化が進んで職人気質にも通じるメンタリティが醸成された一方で、ユーラシア大陸では5000年前に乾燥化、砂漠化が進み、一神教が確立され、「絶対的」なるものや「総合的」なるものが発生した、と、自然環境が思考様式を規定して、国民性に反映される様を、各種データからの科学的な裏付けもされています。
これまた腑に落ちる話です。というのも、わたくしが企業の情報発信から子どもたちのプレゼン指導に至るまで「発言の仕方」をサポートしている中で、つくづく感じるのが、日本人が話していて心地よいのは、根源的には「起承転結」スタイルなのかも、と感じることが多いからです。一つ一つパーツから話していく方が自然で、逆に物事を大局的に見てから微に入ったり、結論を先に言ってから理由を述べるというのも、実は何となく据わりが悪い。それに、そもそも論を振りかざすと嫌われる、というのもあるかもしれない。そんないろいろなことが背景にあって、日本人の話し方が長い時を経て形作られてきたように思うのです。そして、話し始めと終わりでは実は議題が変わっていたり、主語と述語の関係がなかったりというのはままある話で、通訳の方が一番苦心される点ではないかと思うのですが、これは教育レベルでの訓練の問題ではなく、遺伝子レベルで組み込まれてしまっていたり、言語が発生した時からそう規定されているというお話なのではないか、とも思えてきます。実に興味深いです。
そして、以前の号で、日本人の声が小さい理由が狭く海に守られた風土と文化によるものだと書きましたが、この掛け算により、ますます日本的なる話し方が形成されてきたように思います。


竹内 明日香(たけうち・あすか)
日本興業銀行(現みずほFG)にて国際営業や審査等に従事後、2007年独立、海外向けに日系企業の情報提供を開始。2009年にアルバ・パートナーズを設立し、国内企業の海外事業支援と情報発信支援(プレゼンサポート等)を提供。2014年12月に次世代の世界での発言力向上を目指す一般社団法人「アルバ・エデュ」を設立。音羽の森オーケストラ「ポコアポコ」(アマチュアオーケストラ)主宰。東京大学法学部卒業。日本証券アナリスト協会検定会員。

 

Scroll To Top