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【経営学エッセンシャル】 [ 最終回]成功物語の罠

【経営学エッセンシャル】 [ 最終回]成功物語の罠

 経営の世界に限らず、成功物語にあやかりたいというのは自然な考えでしょう。ただここでは、闇雲な成功物語の追随には危うさが伴うことを指摘したいと思います。

「サッカー日本代表」の意識

 少し前ですが、日本経営学会で山本昌邦さん(アテネ五輪日本代表監督、現在NHKサッカー解説者)のご講演を聞く機会がありました。それは筆者の勝手な事前期待 – サッカーのトップレベルのお話しが聞けたら十分 – をはるかに超え、人的資源管理の本質に迫るエピソードをご紹介いただけました。その要点を抜粋してみます。


●日本代表入りした選手の中には、高校や大学へ進むときに希望した組織から受け入れてもらえず、別の選択をせねばならなかった者が多い。
● つまりその時点で、彼らのサッカー選手としての「技術力」は、同世代の選手の間で決して「トップレベル」ではなかった。
●その後、すんなりとエリートコースを歩んだ「トップレベル」の選手たちの多くは日本代表になれていない。
●その差、あるいは「逆転」の要因は何か? 技術ではなく、意識の違い。
●「ゴン」こと中山雅史は、どんなに有名になってからでも、練習開始時刻の数時間前には来て練習していたそうで、そつなく15分前に来るだけの選手たちとはそもそも違っていた。1998年フランスワールドカップでは、脚を骨折しながらも試合終了まで走り続けたことは今も語り草になっている(本人曰く「よい子は真似しないように」)。
●「ヒデ」こと中田英寿が高校生の頃、合宿の合間に読書しながら音楽を聴いているのかと思ったらイタリア語の勉強をしていたそうで、そのころから本場のイタリアリーグへ行くことをサッカー人生の設計図として描いていた。
● 本田圭佑が小学生の頃の作文に、「世界一になるには世界一練習しないとダメだ。今はヘタだけれどガンバって、ヨーロッパのセリエAに入団して10番で活躍します」と書いていたのは有名。その後彼はJリーグのユースに所属するが、そこの高校レベルに進めず、普通の高校への進学を余儀なくされる。
●「シュンスケ」こと中村俊輔も、Jリーグユースではまったく同様の挫折を経験している。
● 長友佑都は強豪高校にいながら大学進学時にスポーツ推薦を得られず、また進学後は怪我もあってスタンドで応援団といっしょに太鼓をたたいていた時期がある。その後体幹筋を鍛えたことが、飛躍的成長につながったとされている。
●こうした「意識」の高い選手たちこそが、試合終盤で他の選手が疲れて走れなくなっているようなときでも、「俺は勝ちたいんだ!」とゴールを目指してくれるし、監督として信頼できる。

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 どうです、伝わったでしょうか? 日本代表レベルと、それに準じるレベルの差は、技術ではなく、最終的な目的達成への意識や意欲の違いのようです。それは単なる根性や精神力でもなければ、挫折を経験したからというだけでもないでしょう。自分が描く未来にどれだけ本気で取り組めるか、そのためにどれだけ努力する覚悟があるか。もしもこれらを才能という言葉で表すならば、「努力する才能に恵まれた人たち」といえるかもしれません。もちろん持って生まれたサッカー選手としての身体的資質も必要でしょうが、それだけでは足りないことを教わりました。
 これを無理やり経営学の土俵に引きずり込むのは気がひけるのですが、どうしてもマズローの欲求階層説が思い起こされます。以前この欄では次のように述べました。図の⑤自己実現欲求を持ち、放っておいても目標に向かって突き進むという、管理者側にとっての都合のよい存在はごくまれである。よって③の別名・所属欲求や④の承認欲求が満たされることを目標に行動している多くの従業員にこそ目配りを、と。ほとんどの組織において③や④の層が多数である以上、今もその思いは変わりません。ただ今回焦点を当てようとしているのは、まさに自己実現欲求を持つ人材ではないでしょうか。山本昌邦さんのご講演終了後に、筆者が質問したのは「指導者として全幅の信頼をおける存在は発掘することしかできないのでしょうか、それとも導き育てることができるのでしょうか」ということでした。それに対するお答えは、「全部ここに書いてありますから」とサイン入りの著書1)をその場で頂きました! その本の「終わりに」には「優秀な部下を育てよう、とは言いません。努力できる部下を育てましょう」とありました。これには経営の現場をあずかる皆様も勇気づけられますね。高い目標をもち、それに突き進む部下を自分の手でも育て上げることもできると考えれば、人材育成にもモチベーションが上がろうというものです。

ノーベル賞受賞者の偶然と必然

 この出来事は、直接ご本人から本を頂くという筆者個人にとっての僥倖でした。一方、ノーベル物理学賞受賞は国民全体にとっての慶事といってよいでしょう。御三方の受賞の弁から教訓を得て、ご自身の、あるいはご子息たちの未来の糧にしようと思った方も多いはずです。それらの中には次のようなものがあったのではないでしょうか。

● 自分のやりたいことをやる
● 一番大事なことは好奇心。疑問をそのままに
しないで、それを大切にすること
● 絶対に諦めない
● 個人で自由にできるから独創的な発明ができる
● 休み返上で研究に没頭

 なるほど、これらはノーベル賞受賞者にとっては、間違いなくご自身たちの成功の秘訣でしょう。しかし当然、凡人がそのまま真似をしたところで、成功が約束されるわけではありません。ひとつの理由は今回の受賞の裏側に敗者の物語があるからです。端折って記しますが、1990年前後、青色発光のための半導体としてセレン化亜鉛か窒化ガリウムを選択せねばなりませんでした。そこには確固たる根拠はなく、研究者たちはそれぞれ自分の信ずるところを頼りに、ある者は前者を採り、今回の受賞者たちは後者を選んだとされています。つまり前者を選んでその後敗れ去った彼らも、選択後の研究・開発の途上では勝者組と同様、「自分のやりたいことをやり」、「絶対に諦めず」、「休み返上で研究に没頭していた」に違いありません。上に箇条書きした要素だけが勝者と敗者を分けたのではなく、まずは当時の判断が偶然正解を選んでいたから、ということも否定しがたいのです。勝利の女神がいたずら心を起こしていれば、前者に栄冠がもたらされていたかもしれません。だからといって、今回の受賞者の努力を軽んじるつもりは毛頭ありません。ただ、努力がもたらした必然であったとしても、出発点に偶然があったかもしれないということをいいたいのです。

珍言説

 唐突ですが、以下の言説についてどのように思われますか?
 言説A「老舗の永続の秘訣は、家訓を持ちそれを大切にする、社員を家族のように扱う、利益を目的にしない、取引先を大事にする、将来のビジョンを経営者が示す……」。普通は「なるほど」となりますよねぇ。では、次はどうですか?
 言説B「業績の良い会社に共通するのは、社長がいること、本社があること、総務部があること、会議室があること、夜遅くなると守衛さんのいる通用門から出入りしなければならないこと……」。普通は「バカにするな!」となりますよねぇ、筆者のようなひねくれ者でもない
限り。ところが経営学の研究方法としては、言説AもBも、同じ手順で導き出されたとみなし得ます。つまり長年繁栄している会社「だけ」を選び出しその共通点を抽出したのが言説A、業績の良い会社「だけ」を選び出しその共通点を抽出したのが言説B、という訳です。もっと「まとも」な理由があるだろう、とお思いになるのも無理はありませんが、「まとも」を判断する時点で研究者の恣意が混入してしまいます。常識的にもっともらしく見える共通点を選び出したとすれば、それは研究者の常識というフィルターを通したものといわざるを得ません。逆に、惜しくも息絶えた老舗も、言説Aのようなことは心して経営していたかもしれません。言説Aがいつも正しいと主張するためには、永続できなかった企業は言説Aの全部または一部を守らなかったからということが証明できなければなりません。いくら成功者だけを集めて共通点を探し出してみても、それが敗者と袂(たもと)を分かつ主因であったという説明にはなりません。言説Bを真似てみても優良企業になれないのと同様、論理的には言説Aをなぞっても永続企業になれる保証はないのです。

「ビジョナリー・カンパニー」の衝撃

 経営研究に関してこの点を指摘したのはコリンズとポラスでした2)・3)。コリンズらは1980年代の名著「エクセレント・カンパニー」4)の功績、組織文化に着目したことなどの意義は認めながらも、株価などの指数が優良な会社だけを抽出した結果であるという方法論的欠陥を指摘しました。ではどうすればよかったのか?
 コリンズらの回答はコロンブスの卵のように、鮮やかにもシンプルです。それは、「金メダル企業」と「銀メダル企業」とを比較するというものです。彼らが選んだ米国中心の対比企業十数組のうち、われわれにも多少なりとも馴染みがあるのは、フォード vs. GM、プロクター&ギャンブル vs. コルゲート、ソニー vs. ケンウッドといったところでしょうか。各組の前者を当時の「金メダル企業」と位置付け、後者を少し残念な「銀メダル企業」とみなし、前者にあって後者にないものを、恣意性を排除して抽出したのでした。

成功物語の活用法

 話を元に戻しましょう。なぜ、「サッカー日本代表」の教訓が素晴らしくて、「ノーベル賞受賞者」のそれが要注意なのでしょう。もうおわかりですよね。前者は、比較対象がはっきりしていて、理屈のうえでも勝者と敗者の違いと呼んで差し支えない点が抽出されています。したがって、勝者のようになりたければそれらの言説に従えばよいといえます。それに対して後者では、精神論としては立派であっても、論理的に成功の要因であったとはいい切れないのです。敗者も同じことをしていたかもしれないのです。こういった罠に陥ることなく成功物語を活用したいものです。
 筆者の担当は今回で最後となりますが、ちょうど、筆者が常々考えていたことを書かせていただくよいタイミングとなりました。ありがとうございました。

「ビジョナリー・カンパニー」の教訓

今回のテーマ、「成功物語の罠」からは少し脱線しますが、せっかくですので、コリンズとポラスの発見事実のうち、興味深いものをご紹介しておきましょう。

●「すばらしい会社をはじめるには、すぐれたアイデアが必要である」とは言えない
●「ビジョンを持った偉大なカリスマ的指導者が必要である」とは言えない
●「時を告げる(カリスマ的指導者)のではなく時計(永続する仕組み)をつくる」
● 経営者は、リーダーシップの諸要素に加え、謙虚さと不屈の精神を併せ持つ
●「優良企業はだれにとってもすばらしい職場である」とは言えない
●「大量のものを試して、うまくいったものを残す」

(後から見れば、先見の明によると思えても、実は試行錯誤の結果成功したモノだけが目立っている)他にもありますが、方法論の指摘同様、発見事実の方もなかなか衝撃的でしょう。固定観念を覆される一方で、よい会社は手の届く存在であるという勇気づけられるメッセージではありませんか。
 ただし、経営の世界の常として、この当時の金メダル企業のうち、今や見る影もない企業もあります。それでも、コリンズらの科学的研究方法としての指摘は、色あせることがないと思っています。


参考文献
1)佐々木則夫、山本昌邦( 2012)「勝つ組織」、角川書店.
2)ジム・コリンズ、ジェリー・I. ポラス(1995)「ビジョナリー・カンパニー- 時代を超える生存の原則」、山岡 洋一(訳)、日経BP社.
3)ジム・コリンズ、ジェリー・I. ポラス(2001)「ビジョナリー・カンパニー2- 飛躍の法則」、山岡 洋一(訳)、日経BP社.
4)トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマン(1983)「エクセレント・カンパニー」大前 研一(訳)、Eijipress business classics

前川 佳一(まえがわ・よしかず)
京都大学経営管理大学院特定准教授。1982年京都大学工学部冶金学科卒業。1995年企業派遣によりボストン大学経営大学院修了(MBA)。2007年 神戸大学大学院経営学研究科修了:博士(経営学)。2008年3月まで、総合家電メーカにてデジタル機器の技術・企画に従事。2008年4月より現職。大 阪市生まれ。

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