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【近憂遠慮】「元素戦略」 ―基礎科学が日本の未来を拓く―

 日本の科学・技術は、今もなお世界をリードし続けている。1949年の湯川秀樹博士による物理学賞に始まり、2010年の鈴木章博士および根岸英一博士による化学賞に至るまで、自然科学分野において15人ものノーベル賞受賞者を輩出してきた土壌は、半世紀以上にわたって脈々と受け継がれ、少資源国家・日本の国力の礎であり続けた。
 理科離れが懸念される昨今においても、化学工学(エネルギー、燃料を含む)で京大が世界第1位、化学で東大2位、京大4位、阪大7位と3校がトップ10入りし、物理学でも東京大学が4位にランクインしている(*)。この強さの源は、日本がたゆ弛まず地道な努力を重ねてきた、基礎研究の底固さにある。
 ところが今、日本の科学・技術は、国を取り巻く情勢の変化に伴い、基礎研究の継続が困難な状況に直面している。
 日本再生のブレイク・スルーとなり得る、この技術力の苗床をいかにして守り抜くか。有機金属化学の世界的第一人者である、理化学研究所基幹研究所所長 玉尾皓平氏に話を聞いた。

(*)2010年the Higher Education Evaluation and Accreditation Council of Taiwan(HEEACT、財團法人高等教育中心基金會)のPerformance Ranking of Scientific Papers for World Universitiesによる

日本の科学・技術――存亡の危機

図表1 機関研究諸事業とスポーツ選手の強化合宿との類似性

 世界中の有能な科学者へ向けて送られる、次のようなメッセージがある。
 
“Would you like a few million dollars a year in funding, for the rest of your scientific career, to pursue any research you want, with no grant writing, no teaching, and few strings attached? “
(年間数億円の研究費を用意します。科学者としての生涯を好きな研究だけを追求して過ごしませんか。補助金申請も講義も不要。何の制約もありません。)

 
 発信元は、世界最高峰の頭脳集団と言われるマックスプランク研究所(ドイツ)だ。基礎研究を中心に行う80の研究所から成り、世界各国から集められた5000人以上の研究者が活動する。大学では十分に取り扱われていない革新的な領域の研究を行い、1948年の設立以来、輩出したノーベル賞受賞者は17人に上る。 
 現在、日本の科学者たちは忙殺されている。国公立大学の独立行政法人化に伴い国家予算が削減された。そのための補助金申請をはじめとした膨大なペーパーワークの上に、講義も行わなければならない。さらには任期制導入により、研究結果ばかりが急がれる。5年間程度では研究が細切れになってしまう、と彼らの嘆きは切実だ。
「マックスプランクでは、日本の科学者が必要としているものがすべて与えられていますね。中国や韓国、サウジアラビア、シンガポールなども世界中からブレーンをリクルートしています。日本はこの人材獲得競争から完全に外れています」。
 理化学研究所基幹研究所所長の玉尾皓平氏は危機感をあらわにする。日本の科学・技術は存亡の危機にあるのだ。
 これまで日本は、自然科学分野において数多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。2000年以降の国別ランキングではアメリカに次ぐ第2位であり、10人の日本人が受賞している(※南部陽一郎博士は日米ダブルカウント)。少資源国家の躍進を支えてきたのは紛れもなくこの高度な科学技術力である。科学・技術が国の骨格を作ってきたと言って良い。1998年に政府は「科学技術創造立国」を国家ビジョンとして掲げた。
 この実現を担う国の研究機関の代表が、独立行政法人「理化学研究所」である(以下、理研)。理研は世界的にも評価が高く、さまざまな分野の第一線で活躍する研究者が多く在籍しており、論文引用数も群を抜く。科学者にとって理研はキャリアの頂点の一つと言っても過言ではない。玉尾氏は、理研の中核でありすべての分野の「苗床」となる基礎研究を統括する。2001年にノーベル化学賞を受賞した現理化学研究所理事長の野依良治氏が、自らの片腕として期待と信頼を寄せる人物だ。玉尾氏は、ニッケル触媒によるクロスカップリング反応(熊田‐玉尾反応)や、ケイ素‐炭素結合を過酸化水素で切断する方法(玉尾酸化)の発見など、元素の本質的特性に着目した物質創製の研究で功績を重ね、有機金属化学の世界的リーダーとして知られる。
 その玉尾氏が、昨今の基礎研究の軽視につながる科学技術政策に警鐘を鳴らす。国政の一部には「理研不要論」まで持ち上がっていたからだ。
 基礎研究は芽が出るまで最低5年、一定の成果が出せるまでさらに5年、最低10年間は忍耐強く取り組む必要があると科学者は声をそろえる。長期にわたる研究活動は相応の予算を必要とする。しかしすぐには結果が出ず実利に結びつかないため、税金の無駄遣いとしてやり玉に挙げられてしまう。世界一を達成したスーパーコンピューター「京」も理研が担う国家プロジェクトだが、莫大な予算に「なぜ2位では駄目なのか」と蓮舫議員が詰め寄った姿は記憶に新しい。
「国のビジョンとして『科学・技術が日本の未来を拓く』と掲げておきながら、事業仕分けでは理研に対して大鉈を振るう。政策としての一貫性はどこにあるのでしょうか」。

国家戦略的研究機関の存在意義

 玉尾氏らはスポーツとの類似性を例にとり、今後も格段の基礎研究強化戦略が必要だと訴え続けている(図表1)。
「プロのアスリートは強靭な基礎体力の養成を日々怠りません。フルタイムでトレーニングに専念できる環境のもと、入念な準備で土台を作り上げなければ、本番で世界一の記録は出せないからです。同様に、理研は研究者がじっくりと基礎科学研究に専念できる場所です。世界トップレベルの基礎研究拠点がなければ、世界をリードする独創的研究は生まれません。今後、科学分野での国際競争に勝てなくなってしまうのです。
 日本の科学・技術が世界に誇れるのは、しっかりとした基礎科学研究の基盤の上に研究者の総合力を結集し、分野を超えたボトムアップ型の連携が可能だからです。これにより前人未踏の新分野が生まれ、世界を先導できます。
 そもそも基礎研究とは既存のものではありません。さまざまな領域に手を伸ばし、新しい分野を創り上げていきます。理研には国の戦略を担うという使命がありますが、国から与えられたミッションを担うだけではなく、国の政策の成長戦略をリードする役割が非常に大きいと思います。つまり、われわれの研究に基づいた提案の上に国家の戦略が成り立っているのです」。
 逆風もある中で、野依氏らの声は政府を動かした。アメリカや中国、韓国などで、国策としての科学技術政策推進に係る法律制定の動きを追い、ようやく「国立研究開発機関」(仮称)制度の創設に向けて動き始めたのである。理研を中心とした独立行政法人の研究開発8拠点を強化し、世界トップレベルの国際競争力と、世界で最も機動的で弾力的な運営の実現を目指す。研究開発に必要な財源の確保も義務付ける。
 玉尾氏はこの新たな取り組みを大いに歓迎する。だが一方で政府に対し、国民への説明責任を強く求める。
「国公立大学は独立行政法人化され、高等教育の方向性が確立されました。次は、高等教育機関が担ってきたもうひとつの柱である『研究開発』をどういったビジョンで推進するかという問いにたどり着きます。この答えが現在議論されている国立研究開発機関の設立だと私は捉えています。研究開発には効率化や合理化を目的とした現行の独立行政法人制度になじまない側面があります。長期性や不確実性、不定性、分野融合などの特性を踏まえる必要があるからです。だからこそ『将来の科学技術創造立国を目指すためには基礎研究をしっかりと行う必要がある。そこで国の研究開発機関を設置し、理研などにその責務を担わせる。だから国税を投入していくのだ』と国民にきちんと説明してほしいのです。
 そして国民には、この政策に共感し応援してもらいたい。そうすれば次世代を担う子供たちが科学者を目指し、使命を受け継いでいってくれるでしょう」。


玉尾皓平(たまお・こうへい)
1971年京都大学大学院工学研究科合成化学専攻博士課程修了。73~74年ニューヨーク州立大学博士研究員を経て86年京都大学助教授、93年京都大学化学研究所教授、2000年同研究所長。05年理化学研究所フロンティア研究システム長。07年〜11年機能性元素化学特別研究ユニット、ユニットリーダー。08年~基幹研究所所長(10年~グリーン未来物質創成研究領域長を兼務)。04年紫綬褒章。07年日本学士院賞(「有機典型元素化合物の高配位能を活用した化学反応性と物性の開拓(共同研究」)。11年文化功労者顕彰。指導教授であった熊田誠氏と成功させた「ニッケル触媒によるクロスカップリング法(熊田・玉尾反応)」は、有機金属化学の発展に貢献し、生成の難しかった医薬品や機能性化学品の量産を可能にするなど、現代生活において多大な恩恵をもたらした。

文|加藤紀子(編集部)

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