第2回は上海で日本語フリーペーパー『上海ジャピオン』を発行している「上海天益成広告有限公司」執行総経理の片岡寛氏を訪問した。
text:仲 智行 構成:羽田祥子(編集部)

世界一の外貨準備高1兆9000億ドルを保有する中国は、今や日本の最大の貿易相手国でもある。上海では海外旅行先として日本の人気が急上昇し、日本への団体旅行者数はこの4年で6倍以上に増加。2008年にはタイに代わり日本が初めて上海発の旅行団参加者数の首位になったという。
日本と中国は、様々な面でお互いを切り離せない「連環」の時代に入っている。

上海に触発されて、中国で起業

1992年から17年連続して2桁台の経済成長率を記録した上海市。2008年に9.7%に下がったとはいえ、世界の状況と比してその成長は著しい。この4月に過去最大規模で開催された上海モーターショーでは、各社とも本国に先駆けて新車発表を行うなど、上海・中国市場を重要視する姿勢が明白となった。10年5月には上海万博の開催も決定しており、7000万人の来場者を見込むという。また、香港に続く上海ディズニーランドも10年に着工が予定されている。
 その上海の勢いをいち早く感じ取り、独自の事業を始めたのが片岡氏である。片岡氏は大企業に勤めた経験がない。大学時代に会社を興し、7年間走り続けた。02年、会社を売却して時間とお金を得たことをきっかけに、新たな刺激を求めて3カ月半の世界一周の船旅に出発した。その旅で寄港した上海が、彼の人生の航路を中国に向かわせた。「上海への寄港は1泊2日だけだったのですが、94年にインターネットに触れた時のような感動というか刺激がありあました。何か得体の知れないもの、ただただ成長していく街、という漠然としたインスピレーションを感じました」。

09年4月に開催された上海モーターショー。森ビルグループが開発した上海の超高層ビル「上海ワールド・フィナンシャル・センター」の94階では世界に先駆けて新型ポルシェ「パナメーラ」の発表会が行われ、話題を呼んだ。

「上海で何かビジネスをしてみたい」という強い思いから、片岡氏はその年の夏に上海へ再上陸した。2カ月間のリサーチで片岡氏が思いついたものは、日本人向けの日本語フリーペーパー事業であった。「当時、上海で日本人が急増している割に、日本語媒体が2つしかなかったのです。そして物価と比べてその媒体への掲載費用が異常なほど高かったですね」。上海では、当時肉まんが0.7元、タクシー初乗りが9元に対して、紙媒体への掲載費用は数万元、と大きなギャップがあった。中国では媒体の発行が容易でないため媒体側が強気であり、価格が高くても広告主としては掲載せざるを得ないという売り手市場の状態だったのだ。  片岡氏は『上海ジャピオン』の名で媒体の発行を始めた。当時主流だった月刊ではなく、当初から週刊で挑戦している。「その当時の中国の媒体は月刊誌が主流で、内容もインタビューや開催後のイベント情報が多かったのです。以前住んでいたニューヨークでの日本語媒体は既に短い発行タームに移行しており、事前告知などの内容も含んでいました。そうした潮流を踏まえて週刊にすべきと判断したのです」。

<<最初へ <前へ 1|2 次へ> 最後へ>>