DCブランド全盛期を経て、日本におけるバーニーズ ニューヨーク、アルマーニ躍進の立役者。その偉業にも甘んじず、働く大人のためのセレクトショップ「エストネーション」を創り上げたファッションの達人、髙橋みどり氏。彼女が描く、これからの日本の「衣」とは?

髙橋みどり:東京生まれ。メルローズを経て、1990年バーニーズ ニューヨークの日本進出に伴いバーニーズジャパン宣伝部ジェネラルマネージャーに就任、その後ジョルジォ アルマーニ ジャパン広報室長を経て2001年にエストネーションをオープン。2005年6月にオーエンスを設立。これまでの豊富な経験と知識を活かしメンズ、ウィメンズともにクリエーションできるイメージングディレクターとして活躍中

NYで受けた衝撃が転機に

「すごい衝撃を受けました。訪れる人といい、扱っている物といい、お店全体がものすごく『オトナ』だったんです。こんなのが日本にあったらいいなぁと」。
 1980年代前半、髙橋氏が初めてバーニーズ・ニューヨークを訪れたときの印象だ。客はリムジンで乗り付け、ドアマンが店の扉を開ける。客の買い物にはパーソナルショッピングサービスが対応する。バーニーズの店員一人ひとりが、自分の仕事に誇りを持っている。そんな印象を強く受けたという。
 当時、髙橋氏は全盛期だったDCブランド「メルローズ」の企画部販促係。今でいうプレスの走りである。好業績だった会社は、彼女を2週間の海外研修に行かせてくれた。行き先は自由。1週間ずつパリとニューヨークに行くことにした。「ニューヨークに行くならバーニーズを見ておいたほうがいい」--周囲から受けたアドバイスに従った、それが彼女のその後の人生の大きな転機となる。
 メルローズ時代は本当に楽しかったという。しかしこのバーニーズで受けた衝撃は、彼女の脳裏から離れることはなかった。ちょうどその頃、バーニーズが伊勢丹を通じて日本に進出することになり、PRを探していた。まさに渡りに船。彼女には運命的な巡り合わせだった。

バーニーズからアルマーニへ

 表向きは順調に見えたバーニーズ日本上陸。だが内情はそう容易ではなかった。
「エルメスの日本直営店というとわかりやすいですが、バーニーズはスペシャリティ・ストア。今でいうセレクトショップと百貨店の間に位置する新しい業態。お客様から見れば『バーニーズって一体何?』と思われてしまう、そんな感じでした」。
 メルローズ時代に培ったキャリアと経験に自信を持って臨んだ新境地にもかかわらず、最初はストレスが溜まるばかりだったという。当初はニューヨークのテイストをそのまま持ち込み、本店と全く同じ商品を置いたが、3年間は赤字続きだった。
「毎日のようにニューヨークと喧嘩です。こんなのバーニーズっぽくないからダメと言われても、日本市場の独自性をひとつずつ説明し、意見交換を重ねていきました」。
 5年ぐらい経つと売り上げが伸び、日本側の発言力が高まり、ようやく面白くなってきた。しかしバーニーズは1997年には連邦倒産法第11章(Chapter 11)の適用を受けて倒産。創業者一族の経営者が一掃されてしまう。

バーニーズ時代の高橋氏

求められる強いリーダーシップ

「私が好きだったバーニーズらしさがなくなってしまう。どうしようと不安になっていたところ、アルマーニにヘッドハントされました。アルマーニの服が好きだったのと、イタリアのファッションビジネスも勉強してみたかったのでその話を受けました」。  アルマーニに移籍。そこでプレスとして彼女に与えられたミッションは、アルマーニ氏16年ぶりの来日イベントを成功させること。数億円を投じ、1200名規模の大掛かりなショーを成功に導いた。元々日本をあまり好きではなかったアルマーニ氏が一転して日本びいきになったのも、この時がきっかけだったと言われている。

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