物腰が柔らかく、爽やかで、話のテンポもいい二枚目。久住有生氏、37歳。
左官職人という伝統技術の世界でカリスマと呼ばれ、世界から仕事の依頼がある。
桜の季節に、銀座桜ギャラリーで個展を開いた久住氏は、桜色を身にまとって現れた。
photo: t.SAKUMA text: 羽田祥子(編集部)

左官という仕事

 左官とは、鏝(こて)を使って壁を作る仕事である。日本家屋の壁は、柱と柱の間に竹を編んだ下地を作り、その両面に土などを混ぜ合わせたものを塗る。素材の選び方、水の混ぜ方、塗り重ねる方法や回数などにより、壁の強度にも表情にも、左官の技術が出る。 今、日本で左官が行う仕事の99%は、メーカーが作った材料に水を入れ、練って塗るだけである。タイルやクロスを貼るため、あるいはペンキを塗るための下地であり、左官の仕事は内側に隠れてしまう。表に出る場合があっても、本当に薄いものでしかない。
 昔の家屋は塗り重ねの工程を踏んで仕上げられていた。塗りは、水分が蒸発することによって初めて仕上がるため、壁を分厚くするほど塗り重ねる回数が増え、乾燥期間が必要となる。工期の短縮を求められる今の建築では、昔ながらの工法は難しく、左官の本来の仕事がなくなってきているのである。
「塗る厚みによって明らかに質感が違うね。薄いものは薄くしか見えないし、軽いものは軽くしか見えない。傷まないように何でも硬くなっている。崩れないほど硬いものって表情がないよね。だからすべてが表層的で、質感とか、中から溢れ出すものがほとんどない。昔の仕事と比べて全く別物ですね」。

自分でイメージが浮かばない時は…

 左官の技は、明治以降入ってきた洋風建築にも生かされる。石に見えるが、内装の漆喰、天井の彫刻、装飾なども左官による仕事である。久住氏はそうした100年以上前の建物の修復も行う。「もともと左官はデザインもできたんです。昔、職人はお抱えで雇われていたから、よりきれいに長持ちすることだけを考えていればよかった。だからどんどん仕事が良くなっていくし、美意識に長けた職人もたくさんいました」。しかし今では、請負仕事で単価の決まった仕事が多く、損をしないように、工務店の指示通りにやるだけの仕事になってしまっているという。

サーフィンが趣味という久住氏。伝統の技を究め、現代に生かす提案力を持っている。

取材協力: 銀座桜ショップ
www.sakurashop.co.jp

ケーキ屋とガウディと沖縄と

 久住氏は3歳の頃から、やはりカリスマと呼ばれた父により鏝を持たされた。「鏝の練習をしないとご飯を食べさせてもらえませんでした」。ケーキ屋になりたかった久住氏は、高校3年生の時、父親に製菓の専門学校に行きたいと直訴した。父は反対し「その代わり20万円やるから一人でヨーロッパを周ってこい」と言ったという。旅先のスペインでケーキ屋の写真ばかり撮っていた久住氏は、バルセロナでアントニ・ガウディの建築と出合う。「魂を揺るがされました。100年前の建物が今でも造り続けられている。自分でもそういう建築をやりたいと思いました。どうせやるなら日本一になりたいと。今思えば父の策略です(笑)」。

 20代の頃は、腕を磨くために文化財、伝統建築、茶室ばかりを手掛けていた久住氏は、仕事にも弟子にも大変厳しく、ぴりぴりしていたという。26歳の時、転機が訪れた。「ある建築家に沖縄でのワークショップに遊びに来いと誘われました。教授と20人位の建築科の学生がいて、左官の仕事でも教えるのかなと気軽に参加しましたが、4日間何もやらないんです。周辺をぐるぐる散歩し、家を作る100年前から防風林を植えて徐々に集落ができたとか、水をどう引いて町ができたかとか、景観はどう作られるかとか、そんな話を聞いて、ようやく作業が始まったんです。僕らは壁に集中しすぎていたと気付きましたね。壁は建築の一部にすぎなくて、景観や気候や、何よりそこで生活する人の営みがあって初めて美しく見えるものだと。勉強になりました」。

花の色を写し取ったかのような鮮やかな、そして心落ち着く色合いの額。自然の土の色から取り出したものだという。

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